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シューベルト:シラー歌曲

シューベルト(1797-1828)はごく初期からフリードリヒ・シラー(Johann Christoph Friedrich Schiller:1759年11月10日、Marbach am Neckar − 1805年5月9日、Weimar)の詩による独唱歌曲を多数書き続けた。その数は45曲に及び、ミュラー歌曲に並ぶが、うち3曲断片を含み、さらにシラーと断定できない詩も1曲あるので、完成された曲ではミュラーに次ぐ位置にあるといえるだろう。ただシューベルトは多声歌曲でもシラーの詩を多数使用している(ほとんど独唱歌曲の詩と重複しない)ので、ほかの多くの作曲家が避けている、作曲しにくい詩がシューベルトに霊感を与えているというのは興味深い事実だと思う。特に少年時代にとりあげる詩の内容の暗さは特徴的である。近年詩人ごとに録音する演奏家も増えているので、シラー歌曲だけをまとめて聴く機会が増えているのは喜ばしいことだと思う。ベートーヴェンの「第九」の有名な合唱に使われた「歓喜に寄せて」がシューベルトによってどのような歌曲になったのか、また太宰治の「走れメロス」のもとになった「人質」がどのように描写されているのか聴いてみるのも面白いのではないか。「少女の嘆き」「小川のほとりの若者」など同じ詩に何度も作曲していることが多いのもシラー歌曲に際立っているので、その聴き比べも興味深いだろう。

D6 少女の嘆き(Des Mädchens Klage)(第1作) 1811/1812年

D7 屍の幻想(Leichenfantasie) 1811年頃

D30 小川のほとりの若者(Der Jüngling am Bache)(第1作) 1812年9月24日

D52 憧れ(Sehnsucht)(第1作) 1813年4月15-17日

D73 テークラ:霊の声(Thekla: eine Geisterstimme)(第1作) 1813年8月22-23日

D77 潜水する男(Der Taucher)(全2稿:第2稿は旧D111) (1)1813年9月17日-1814年4月5日(2)1815年まで

D113(Op. 58-2) エンマに(An Emma)(全3稿) (1)1814年9月17日(2)(3)1814年頃

D117 異国から来た少女(Das Mädchen aus der Fremde)(第1作) 1814年10月16日

D159(Op. 116) 期待(Die Erwartung)(全2稿) (1)1816年5月(2)1816年

D189(Op. 111-1) 歓喜に寄せて(An die Freude)(斉唱付き) 1815年5月

D191(Op. 58-3) 少女の嘆き(Des Mädchens Klage)(第2作)(全2稿) (1)1815年5月15日(2)1815年

D192 小川のほとりの若者(Der Jüngling am Bache)(第2作) 1815年5月15日

D195(Op. 173-1) アマーリア(Amalia) 1815年5月19日

D246 人質(Die Bürgschaft) 1815年8月

D249 戦い(Die Schlacht)(第1作)(断片) 1815年8月1日

D250 秘密(Das Geheimnis)(第1作) 1815年8月7日

D251 希望(Hoffnung)(第1作) 1815年8月7日

D252 異国から来た少女(Das Mädchen aus der Fremde)(第2作) 1815年8月12日

D253 ポンスの歌:北国で歌うための(Punschlied: im Norden zu singen) 1815年8月18日

D283(Op. 172-5) 春に寄せて(An den Frühling)(第1作) 1815年9月6日

D284 歌(Lied "Es ist so angenehm")(詩人:シラー?) 1815年9月6日

D312(Op. 58-1) ヘクトールの別れ(Hektors Abschied)(全2稿) (1)1815年10月19日(2)1815年頃

D323 ケレースの嘆き(Klage der Ceres) 1815年11月9日-1816年6月

D388 クラヴィーアを弾くラウラ(Laura am Klavier)(全2稿) (1)1816年3月(2)1816年頃

D389 少女の嘆き(Des Mädchens Klage)(第3作) 1816年3月

D390 ラウラへの熱狂(Entzückung an Laura)(第1作) 1816年3月

D391(Op. 111-3) 四つの時代(Die vier Weltalter) 1816年3月

D396 タルタロスの群れ(Gruppe aus dem Tartarus)(第1作)(断片) 1816年3月

D397 騎士トッゲンブルク(Ritter Toggenburg) 1816年3月13日

D402 逃亡者(Der Flüchtling) 1816年3月18日

D577 ラウラへの熱狂(Entzückung an Laura)(第2作)(全2稿)(断片) (1)(2)1817年8月

D583(Op. 24-1) タルタロスの群れ(Gruppe aus dem Tartarus)(第2作) 1817年9月

D584 楽園(Elysium) 1817年9月

D587 春に寄せて(An den Frühling)(第3作)(全2稿:第2稿は旧D245) (1)1817年10月(2)1817年頃

D588(Op. 37-2) アルプスの狩人(Der Alpenjäger)(全2稿:第1稿は断片) (1)1817年10月(2)1817年頃

D594(Op. 110) 戦い(Der Kampf) 1817年11月

D595(Op. 88-2) テークラ:霊の声(Thekla: eine Geisterstimme)(第2作)(全2稿) (1)1817年11月(2)1817年頃

D636(Op. 39) 憧れ(Sehnsucht)(第2作)(全3稿) (1)(2)(3)1821年頃

D637(Op. 87-2) 希望(Hoffnung)(第2作) 1819年頃

D638(Op. 87-3) 小川のほとりの若者(Der Jüngling am Bache)(第3作)(全2稿) (1)1819年4月(2)1819年頃

D677 ギリシアの神々(Die Götter Griechenlands)(全2稿) (1)(2)1819年11月

D793(Op. 173-2) 秘密(Das Geheimnis)(第2作) 1823年5月

D794(Op. 37-1) 巡礼者(Der Pilgrim)(全2稿) (1)1823年5月(2)1823年頃

D801(Op. 60-2) 酒神賛歌(Dithyrambe) 1826年6月まで

D990 ハープスブルク伯爵(Der Graf von Habsburg) 1815年?

←プライ&ホカンソンのシラー歌曲集(ライヴ):「屍の幻想」「人質」のようなプライがスタジオ録音を残さなかったレパートリーも含まれている。

←このNAXOSの3枚でシューベルトのシラー歌曲全曲がそろう。

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アンナ・モッフォ逝去

1960〜70年代に活躍したアメリカのソプラノ、アンナ・モッフォ(Anna Moffo)が3月10日、ニューヨークの病院で亡くなったそうだ。生年については諸説あるようだが、グローヴやニューヨーク・タイムズの記事によれば1932年(6月27日ペンシルヴァニア州Wayne)生まれで享年73歳ということになる。ヴィオレッタ、ミミ、ルチアなどを得意とし、その美貌を生かして数本の映画に出演したり、イタリアのTV番組に10年以上出演し続けたりと活動の幅は広かったようだ。

正直に告白すると私はモッフォの歌はまだ一度も聴いていない。ただ、ジェラルド・ムーアのディスコグラフィー作成のために情報を集めていて、モッフォもムーアと1枚のドイツリート・アルバムを作っていたことを知った。ほかにもジャン・カサドシュとのドビュッシー歌曲集や、「オヴェルニュの歌」も録音しているらしい。まだCD化されていないムーアとの有名曲を集めたリサイタル盤を記して、彼女のご冥福を祈りたい。

Anna Moffo(S) Gerald Moore(P) : 1971年9月2~5日、Schloss Klesheim, Salzburg 録音

(COLUMBIA : OS-2800)

シューベルト/あなたは憩いD776;ナイティンゲールにD497;春の夢D911-11;至福D433

シューマン/献呈Op. 25-1;わが麗しの星Op. 101-4;私は恨まないOp. 48-7;月夜Op. 39-5

ブラームス/永遠の愛についてOp. 43-1;ひばりの歌Op. 70-2;五月の夜Op. 43-2

R.シュトラウス/万霊節Op. 10-8;あなたの黒髪をわが頭に広げよOp. 19-2;わが思いのすべてOp. 21-1;ツェツィーリエOp. 27-2;帰郷Op. 15-5

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(以下、2006年5月20日追記)

7月19日に上のリサイタル盤が、モッフォ追悼シリーズの1枚としてCD復活するそうで楽しみです。

http://www.hmv.co.jp/product/detail.asp?sku=1312159

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恥じざる伴奏者ジェラルド・ムーア

今日、3月13日は歌曲伴奏と伴奏者の認識を高めることに多大な貢献をした英国のピアニスト、ジェラルド・ムーア(Gerald Moore:1899年7月30日Watford, Hertfordshire−1987年3月13日Penn, Buckinghamshire)の命日である。亡くなった数日後に新聞の訃報を読んだ時のショックを未だに覚えている。

私がクラシック音楽に目覚めるきっかけになったのが、中学1年の時に音楽の授業で聴いたシューベルトの「魔王」だったのだが、「魔王」聴きたさにはじめて購入したカセットテープでF=ディースカウと共演していたのがジェラルド・ムーアであった。そのテープの解説書には歌手のことは書かれていてもピアニストについては一言も触れられておらず、それ以来この激しい三連符を魅力的に弾いているピアニストに関する情報をさがし続け、あるLP解説書で、すでに引退している80歳を超えた人であることを知った。彼は伴奏者としての半生を"Am I too loud?"(邦訳は「お耳ざわりですか」)という書物に纏め、そこには名前がレコードやコンサートのポスターに掲載されなかったり、舞台でも花瓶で姿を隠されたりした苦い時代から、伴奏者として一流の地位を築くまでがユーモアと特有のシニカルな表現で記されていた。彼は一般的に歌曲のピアニストとして知られ、実際歌曲の膨大な録音があるが、同時に器楽曲の録音や演奏も少なからずおこなってきた。それらへの反応は歌曲での高評価に比べると概して辛口なものが多く、ほかの楽器よりもバランス的に控えめすぎる場合もないわけではないが、実際じっくり聴いてみると、対立よりは協調を目指すこのピアニストの特徴が生きる作品も多い。特に私が気に入っているのが、早逝したチェリスト、ジャクリーン・デュ・プレとのフォーレの「エレジー」である。これはムーアの70歳を記念して録音されたものだが、デュ・プレが哀切なメロディーを奏でている時、ムーアのピアノも存分に哀しみを打ち出しながらチェロの響きを包み込むような一体感を感じさせ、曲の姿を誠実に伝えてくれているようで、心を揺り動かされてしまう。ここでのムーアの音色が包容力を感じさせながら悲痛な音楽を奏でているところに一層胸に迫るものがある。

ムーアがステージからの引退を表明して、その記念演奏会を1967年2月20日にロンドンのロイヤル・フェスティヴァル・ホールで催した時、企画したウォルター・レッグはムーアのお気に入りの歌手、エリーザベト・シュヴァルツコプフ、ビクトリア・デ・ロス・アンヘレス、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウをこのコンサートの為に呼び寄せた。そこでの演奏は幸い録音され、独唱、二重唱、三重唱の数々を聴くことが出来るが、その中のハイドンの三重唱曲「ダフネのたったひとつの欠点(Daphnens einziger Fehler)」は、3人の歌手によるムーアへのサプライズとなった。容姿や立ち居振舞いを褒め称えながら、「ダフネがあと愛することを知っていてくれたら!」という落ちで締めくくるこの曲が、「ジェラルドのたったひとつの欠点」と化した替え歌では「おお、ジェラルドが弾き続けてくれさえしたら!(O wollte Gerald nur weiterspielen!)」と歌われた。ピアノを弾きながら、この自分へのオマージュを聞いて彼はどう思っただろうか。このコンサートのアンコールでムーアは自ら編曲したシューベルトの「音楽に(An die Musik)」を一人だけで演奏して締めくくった。前奏も省き、たった1節の演奏でありながら、ムーアの演奏は歌声部も伴奏パートも「歌」に満ち溢れていた。この1曲にムーアの演奏のエッセンスがつまっている。

Homage_to_gerald_moore_pamphlet

←ジェラルド・ムーアのフェアウェル・コンサートのパンフレット。実況録音LPの付録。

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ヴェーバーの歌曲

歌劇「魔弾の射手」やピアノ曲「舞踏への勧誘」などで知られるカール・マリーア・フォン・ヴェーバー(Carl Maria Friedrich Ernst von Weber:1786.11.18?, Eutin−1826.6.5, London)に歌曲があることを知ってはいたが、これまで特に注目することもないままだった。記憶にあるのは以前ラジオで聴いたオーラフ・ベーアの歌う「道ばたのばらを見た」ぐらいであろうか。シュライアーがギター伴奏で歌ったヴェーバー歌曲集のLPが出ていたような気もするが聴いたことはない。先日ヘルマン・プライのEMIへの歌曲録音を集めた3枚組の中古CDを入手したところ20曲ものヴェーバーの歌曲が含まれていたことから、少し腰を落ち着けてヴェーバー歌曲に目を向けることになった。

(1)Hermann Prey(BR)Leonard Hokanson(P):1977年9月5〜6日、Bürgerbräu, München録音(EMI CLASSICS

時Op.13−5/私の歌Op.15−1/嘆きOp.15−2/何がお前の魅惑の環へ引き入れるのかOp.15−4/道ばたのばらを見たOp.15−5/彼が彼女にOp.15−6/私の色Op.23−1/恋の炎Op.25−1/野に嵐は吹きOp.30−2/歌曲集「恋人を失ったときの気分」Op.46(全4曲)(快活/重苦しく/恋に狂って/平静)/捕らわれた歌手たちOp.47−1/自由な歌手たちOp.47−2/私が小鳥ならばOp.54−6/おいらの恋人はかわいらしいOp.64−1/夕べの恵みOp.64−5/あなたを思うOp.66−3/望みとあきらめOp.66−6

(2)Tuula Nienstedt(A)Heinz Kruse(T)Ian Partridge(T)Max van Egmond(BR)Uwe Wegner(Pianoforte)Jan Goudswaard(Guitar)Edward Witsenburg(Harp):1976年2、3、5月、Doopsgezinde Kerk, Haarlem録音(SONY CLASSICAL

嘆きOp.15−2(van Egmond ; Wegner)/何がお前の魅惑の環へ引き入れるのかOp.15−4(van Egmond ; Wegner)/小さなフリッツが若い友人たちに寄せてOp.15−3(van Egmond ; Wegner)/私の色Op.23−1(van Egmond ; Wegner)/ゾネットOp.23−4(van Egmond ; Wegner)/恋の炎Op.25−1(Kruse ; Goudswaard)/嵐と共に丘を越えてOp.25−2(Kruse ; Goudswaard)/私にまどろみをOp.25−3(Kruse ; Goudswaard)/乞食の歌Op.25−4(Kruse ; Goudswaard)/「3つのカンツォネッタ」〜ああどこへ行ったのOp.29−1(Partridge ; Goudswaard)/「3つのカンツォネッタ」〜快活なニンフOp.29−2(Partridge ; Goudswaard)/Du moins alors je la voyais(ロマンツェ)(van Egmond ; Wegner)/輪舞Op.30−5(van Egmond ; Wegner)/苦しみなのか、喜びなのかOp.30−6(van Egmond ; Wegner)/捕らわれた歌手たちOp.47−1(Kruse ; Wegner)/自由な歌手たちOp.47−2(Kruse ; Wegner)/かつて捕らえられた王が座っていた(ロマンツェ)(Kruse ; Goudswaard)/バラーデOp.47−3(van Egmond ; Witsenburg)/私の憧れOp.47−5(van Egmond ; Wegner)/クオドリベットOp.54−2(Nienstedt ; van Egmond ; Wegner)/老婦たちOp.54−5(van Egmond ; Goudswaard)/私が小鳥ならばOp.54−6(van Egmond ; Wegner)/泣くなOp.54−7(van Egmond ; Wegner)/五月の歌Op.64−2(Kruse ; van Egmond ; Wegner)/ひそやかな恋の痛みOp.64−3(Nienstedt ; Goudswaard)/博識Op.64−4(van Egmond ; Goudswaard)/妖精の歌Op.80−3(van Egmond ; Wegner)/ダンツィに(Kruse ; Goudswaard)

(3)Erna Berger(S)Lea Piltti(S)Elisabeth Schwarzkopf(S)Emmi Leisner(A)Rudolf Bockelmann(BR)Hans Hotter(BR)Hanns-Heinz Nissen(BR)Karl Schmitt-Walter(BR)Michael Raucheisen(P):1942〜1943年録音(DOCUMENTS)

時Op.13−5(Berger)/私の歌Op.15−1(Hotter)/嘆きOp.15−2(Hotter)/小さなフリッツが若い友人たちに寄せてOp.15−3(Bockelmann)/道ばたのばらを見たOp.15−5(Schmitt-Walter)/「3つのカンツォネッタ」〜快活なニンフOp.29−2(Berger)/「3つのカンツォネッタ」〜とてもあなたにはかなわないOp.29−3(Berger)/無邪気Op.30−3(Berger)/苦しみなのか、喜びなのかOp.30−6(Berger)/もしも私の恋人がOp.31−1(Piltti ; Schwarzkopf)/歌曲集「恋人を失ったときの気分」Op.46(全4曲)(快活/重苦しく/恋に狂って/平静)(Nissen)/捕らわれた歌手たちOp.47−1(Berger)/ひそやかな恋の痛みOp.64−3(Leisner)/谷間のすみれOp.66−1(Berger)/あなたを思うOp.66−3(Berger)/クロティルデの歌Op.80−1(Berger)

(4)Dietrich Fischer-Dieskau(BR)Hartmut Höll(P):1991年3月27〜28日、9月11日、Berlin録音(claves)

私の歌Op.15−1/嘆きOp.15−2/小さなフリッツが若い友人たちに寄せてOp.15−3/何がお前の魅惑の環へ引き入れるのかOp.15−4/道ばたのばらを見たOp.15−5/彼が彼女にOp.15−6/私の色Op.23−1/恋の炎Op.25−1/嵐と共に丘を越えてOp.25−2/野に嵐は吹きOp.30−2/愛の歌Op.30−4/輪舞Op.30−5/苦しみなのか、喜びなのかOp.30−6/私の憧れOp.47−5/私が小鳥ならばOp.54−6/おいらの恋人はかわいらしいOp.64−1/遠くからの愛の挨拶Op.64−6/いとしい人、僕の宝物Op.64−8/谷間のすみれOp.66−1/あなたを思うOp.66−3/セレナーデ“お聴き、静かにお聴き、恋人よ”/ロマンツェ“彼女はとても優雅だった”

(5)Peter Schreier(T)Konrad Ragossnig(GT):1988年8月3〜5日、Palais Kinsky, Wien録音(Novalis

「3つのカンツォネッタ」〜ああどこへ行ったのOp.29−1/「3つのカンツォネッタ」〜快活なニンフOp.29−2/「3つのカンツォネッタ」〜とてもあなたにはかなわないOp.29−3/かつて捕らえられた王が座っていた(ロマンツェ)/時Op.13−5/子守歌Op.13−2

ヴェーバーは40年の短い生涯に少なくない数の歌曲を書いたが、三省堂の「クラシック音楽作品名辞典」の旧版には80曲ほどの独唱歌曲が掲載されている。上述の2番目のCD解説書では128曲の歌曲が作られたとあり、さらにF=ディースカウのCD解説書には300曲あまりと記されているが、重唱曲や合唱曲もカウントしているのかもしれない。詩人の名前を見てもあまり著名な人は多くない。ブラームスの「マゲローネのロマンス」の3曲目と同じティークの詩に付けられたOp.30−6や、ベートーヴェン、シューベルトが"Andenken"というタイトルで作曲したマティソンの同じ詩に作曲されたOp.66−3ぐらいだろうか。劇作家コッツェブーの詩による作品や、メンデルスゾーンの歌曲でしばしば名前を目にするJ.H.フォスという詩人による作品がいくつかある。「道ばたのばらを見た」の詩人C.ミュヒラーはヴェーバーの友人とのことだ。それから特徴的なのが非常に民謡への付曲が多いこと。数曲が1つの作品番号のもとにまとまっているが(作曲年代は離れていることも多いが)、普通の詩人による作品と民謡詩への作曲がなんのためらいもなく共存しているのが面白い。プライのCDを聴くとヨーデルを模したメロディーが出てきて(「おいらの恋人はかわいらしいOp.64−1」)、「輪舞」では民族色豊かな踊りのリズムが聴かれる。(2)のCDは歌曲のCDと室内楽のCDの2枚組だが、室内楽編には「10曲のスコットランド民謡集」が含まれている。フルート、ヴァイオリン、チェロ、ピアノの組み合わせだが、これはハイドン、ベートーヴェンなどでもお馴染みの民謡編曲で、ヴェーバーの専門家ならばこの中にヴェーバーの痕跡を見出すことが出来るのかもしれないが、私は純粋なスコットランド民謡として聴くことしか出来なかった(もちろん美しく魅力的な作品たちである)。歌は概して素直で素朴で知人たちの前で歌うサロン風な作風に思える。ピアノはいわゆる「伴奏」に徹していると言えるかもしれないが、凡庸に陥らないのはさすがである。時に単純な伴奏音型が強く訴えかけてくるほどである。ヴェーバーの歌曲で最も他の作曲家のものと異なるのがギター伴奏の歌曲がきわめて多いことである。シューベルトの歌曲などもピアノパートをギターに編曲して出版した例があるが、ヴェーバーの場合はオリジナルがギター伴奏のものが多いのが特徴的である。ぽつぽつとつまびかれるギターの響きが内輪向けのこれらの歌にどれほどマッチしているかは一聴すればすぐに感じられるだろう。歌曲集「恋人を失ったときの気分」Op.46という4曲からなる歌曲集が上述の(1)(3)で聴けるが、なかなか面白い。「時」「私の歌」「嘆き」「道ばたのばらを見た」「恋の炎」「あなたを思う」などがよく歌われる曲のようだ。

●主な曲の大意(曲名の後の括弧内は詩人名)

・時Op.13−5(J. L. Stoll):白い服をまとった「時」が墓の上に座り、数千年もの間歌い、泣き、微笑みながら時を編み続けてきたのだ。

・私の歌Op.15−1(W. von Löwenstein-Wertheim):わが歌、わが詩歌は一瞬に捧げられ、響きは時とともに消え去る。感じる心が生み出す歌の音色が人の心に伝わることこそ歌の使命なのだ。死の天使が私を墓に手招きしても、歌は永遠に響き続けよ。

・嘆きOp.15−2(C. Müchler):われらの人生は絶えざる闘いである。人生の価値は感じることにある。幸せの感覚は夢の姿であり、宙に漂うものだ。目標に到達しても、われらに誠意を見せるものは苦しみ以外の何もない。

・道ばたのばらを見たOp.15−5(C. Müchler):私は道ばたに咲いたばらを見た。あたりまでかぐわしい美しいばらを折ろうとして刺されてしまった。娘たちよ、君たちはこのばらみたいだ。美しさで私たちをそそりながら、つれない態度で私たちを苦しめるのだから。だが、その美しかったばらも日が暮れる前に日の光によって色あせてしまった。この教訓は難しくないから、私はこれ以上何も言わない。

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