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仮面舞踏会

これぞエスプリの極致と分かったような口をききたくなるのが、無条件に楽しいプーランク(Francis Poulenc:1899−1963)の「仮面舞踏会(Le Bal masqué)」。マックス・ジャコブ(Max Jacob:1876−1944)の詩は意味があって無いようなもの。言葉の「意味」ではなく「響き」に触発されたと想像されるプーランクの6曲からなる歌曲集は、2曲(ほかに最終曲は半分器楽曲と言える)の器楽曲を含み、ピアノとアンサンブルが歌とついたり離れたりしながら陽気にはしゃぎまわる。なかでもパーカッションの活躍ぶりは際立っている。曲は次の6曲。

(1)序曲と華やかな歌(Préambule et Air de bravoure)

(2)間奏曲(Intermède)(器楽曲)

(3)マルヴィナ(Malvina)

(4)バガテル(Bagatelle)(器楽曲)

(5)盲目の婦人(La dame aveugle)

(6)フィナーレ(Finale)

録音は

1)ヨセ・ファン・ダム(BR)アラン・プラネス(P)リヨン歌劇場管弦楽団;ケント・ナガノ(C)[1990年10月31日〜11月3日、Auditorium Maurice Ravel, Lyon録音]

2)フランソワ・ル・ルー(BR)パスカル・ロジェ(P)フランス国立管弦楽団員;シャルル・デュトワ(C)[1995年12月16〜19日、Salle Wagram, Paris録音]

がすぐに見つかったが、ベルナック&プーランク・コンビや、ホルツマイア&斎藤記念オーケストラのCDも所有している。ダムはどっしりした男性的なアプローチで巧まずしてユーモアを滲み出させるタイプの歌唱で、テンポをかなり自在に動かして意外性で楽しませてくれる。ル・ルーは1961年生まれというから録音当時34歳。若く羽毛のような優しい声で懸命に演じている。大胆に声色を変えてなかなか魅力的である。ピアノのロジェを筆頭にアンサンブル陣の巧さには舌を巻く。ベルナック&プーランクはかつて聴いた印象ではさすがに声の演技力がずばぬけていたように記憶する。プーランク自身のピアノは完璧を目指すよりは楽しんで弾いていたように感じた。ホルツマイアは言葉さばきは巧みだがユーモアや皮肉表現という点でもう少し何か欲しい感じはした。以前F=ディースカウ&サヴァリッシュの演奏(1975年、Berlin録音)がCD化されたことがあるが、図書館からLPを借りて聴いた時に、フランス人とは明らかに異なる雰囲気ながら「F=ディースカウのプーランク」として聴いた時、その言葉の扱いやユーモア、皮肉表現は余人の追随を許さないすごさがあり、感動したのを覚えている(F=ディースカウが録音したプーランクは「仮面舞踏会」だけである。「村人の歌」なども歌ってほしかったが残念)。スゼー&ボールドウィンのLP(1972年3月6〜24日、Salle Wagram, Paris録音)はまだCD化されていないのが残念だが、さすがに、歌もピアノも非の打ちどころがない。スゼーのフランス語は素人の私が聴いても本当に美しい。

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伊福部昭全歌曲/藍川由美(20CM-641/642)

先日亡くなった伊福部昭の歌曲を2枚のCDにおさめたもので、ソプラノの藍川由美がいろいろな編成の楽器と歌っている。藍川さんは以前にも録音しているようで、リサイタルでも歌いこんだ馴染みの作品らしく、真摯で幅広い表現力と声の濃淡で思いの深さを伝えてくる。ソプラノだが包容力のある温かい美声である。北海道生まれで小さい頃から北方異民族と接点のあった伊福部の作品は、ギリヤーク、キーリン、オロッコ、アイヌといった民族の心情や暮らしのひとこまを自身の中で咀嚼して彼なりの民族色を表現したものといえるのではないか。オクターヴのユニゾンや特徴あるリズム、現地語による歌唱が異文化圏の匂いを作り出しているように思うが、たとえば「ギリヤーク族の古き吟誦歌」(全4曲)を聴いていると、ラヴェルの「ギリシャ民謡集」を聴いている時に近い感覚が生じてくる。そのオリジナルの民族音楽を知らないのに何故かその固有の音楽を擬似体験しているような感じである。ティンパニとの共演による「アイヌの叙事詩に依る対話体牧歌」(全3曲)は、遠吠えのような哀愁漂うこぶしっぽい歌い回しや軍歌チックな雰囲気の曲があるかと思えば、酒宴の席で聴かれそうな曲もあり、さらに雷が鳴っているかのようにティンパニを猛烈に連打させ尋常でない雰囲気を演出している曲があり、これらは伊福部歌曲の中で私が最も惹きつけられた作品郡であった。ファゴット、コントラバスとピアノ共演による「オホーツクの海」は厳しい自然と歴史を反映しているかのような音楽に吸い込まれるかのようだった。この曲の詩人、更科源蔵(1904−1985)と伊福部は交流があったそうだ。「因幡万葉の歌五首」はアルトフルートと二十五絃筝の響きで雅の世界に一気にタイムスリップさせられる。「モスラーや、モスラ」ぐらいしか覚えていない私にははじめて聴く曲だった「聖なる泉」は、短い曲だがゴジラファンにはたまらないのではないか(ザ・ピーナッツが映画の中で歌っていた曲のリメイクとのこと)。「摩周湖」はハープ版とピアノ版(ヴィオラは共通)の2種類が収められているが、私はハープ版の方が良かった。「サハリン島先住民の三つの揺籃歌」は3つの異なるタイプ(民族も異なる)の子守歌であるが、3曲目は眠る子を起こしてしまいそうな勢いだ。

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若かりしジェラール・スゼー

フランスの名バリトン、ジェラール・スゼー(Gérard Souzay:1918年12月8日 Angers−2004年8月17日 Antibes)が85歳で亡くなってからもう1年半が経とうとしている。月日の流れは無情にも亡き人を忘却の彼方に追いやろうとする。しかし、昨年末頃に発売された"THE ART OF GÉRARD SOUZAY"というアメリカのレーベルVAIのDVDは、この不世出の歌手の映像を多面的に集めて、30代から40代の「ビロードの声」を甦らせてくれた。私個人の思い出を振り返っても、1980年代にただ一度だけ実演に接したのみで、彼の歌う姿を目にする機会が殆どなかったので、このカナダのテレビ放送用映像でメフィストーフェレスの真っ黒な扮装をしたり、伊達男ドン・ジョヴァンニの衣装でマンドリン片手に「窓辺においで」を歌ったりするのを見ることが出来るのはとても貴重である。貴公子然としたノーブルな雰囲気がこの歌手の持ち味だったことを強く印象付けられたが、だからこそ目を見開いて歌う悪魔メフィストーフェレスのインパクトは余計に強く感じられた。往年の名ソプラノ、ロッテ・レーマンならずとも「スゼーを聴くためなら世界中どこに出かけるのもいとわない」という気持ちにさせられたファンも多かったのではないか。りりしく舞台映えのする容姿と甘美な声は当時の聴衆を惹き付けてやまなかったであろうことは、この映像を見ただけで容易に想像できる。収録時間は53分なのであっと言う間だが、スゼーの広いレパートリーを概観できる選曲になっている。「月の光に」は「ドドドレミーレードミレレド」の誰でも聞いたことのある曲だが、リュリの作曲ということになっている。ここでは第1節のみ無伴奏でさらりと歌われている。最後の2曲はピアノ共演だが、ボールドウィンはここでは写らず、スゼーのバックに子供たちや自然の風景が映し出されて牧歌的な素朴な雰囲気が演出されていた。特に「バイレロ」では川をはさんだ若い男女の対話が音響的な効果も交えて表情豊かに歌われている。若きボールドウィンの演奏は後年よりも腕の動きが大きいが、そのゆきとどいたタッチのコントロールはすでに非凡さを示している。

(1)1955年2月3日録画:Orchestre de Radio-Canada; Roland Leduc(C)

リュリ/歌劇「アルチェステ」〜Il faut passer(仏)

ドビュッシー/「フランソワ・ヴィヨンの3つのバラード」〜2)ヴィヨンが聖母に祈るために母の願いにより作ったバラード(仏)

ラヴェル/歌曲集「ドゥルシネア姫に思いを寄せるドン・キホーテ」全3曲(ロマネスクな歌/叙事的な歌/乾杯の歌)(仏)

(2)1966年3月3日録画:Dalton Baldwin(P); Orchestre de Radio-Canada; Jean Beaudet(C)

リュリ伝/月の光に(仏)(ア・カペッラ)

ラモー/歌劇「優雅なインドの国々」〜輝く太陽(仏)(オケ)

モーツァルト/歌劇「ドン・ジョヴァンニ」〜窓辺においで(伊)(オケ)

シューベルト/野ばらD. 257;さすらい人の夜の歌D. 768(独)(ピアノ)

ベルリオーズ/「ファウストの劫罰」Op. 24〜Une puce gentille; Voici des roses; Devant la maison(仏)(オケ)

グノー/おいで芝生は緑(仏)(ピアノ)

デュパルク/悲しい歌(仏)(ピアノ)

フォレ/歌曲集「ある日の詩」Op. 21〜2)いつの日も(仏)(ピアノ)

グルック/歌劇「オルフェオとエウリディーチェ」〜われエウリディーチェを失えり(仏)(オケ)

民謡/五月の最初の日(仏)(ピアノ)

カントルーブ/民謡集「オヴェルニュの歌、第1集」〜バイレロ(オヴェルニュ地方方言)(ピアノ)

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伊福部昭逝去

作曲家、伊福部昭(1914年5月31日生まれ)が2月8日に多臓器不全のため91歳で亡くなったそうだ。「ゴジラ」や「大魔神」の映画音楽などで著名な人だが、歌曲も作っている。「梅丘歌曲会館」ではもちろんFUJIIさんが1曲とりあげておられるが、民族固有の言葉を使い、楽器もピアノに限らずティンパニとの組み合わせなどというものまである。この機会に、日本歌曲のF=ディースカウとでも言いたくなるほど硬軟とりまぜて網羅的な仕事ぶりを見せるソプラノ、藍川由美の「伊福部昭・全歌曲」を取り寄せて聴いてみようと思う。この収録曲ですべてかどうかは分からないが、主要曲は網羅しているのだろう。ご冥福をお祈りいたします。

1)ギリヤーク族の古き吟誦歌(アイ アイ ゴムテイラ/苔桃の果拾ふ女の歌/彼方(あなた)の河び/熊祭に行く人を送る歌)(伊福部昭:詩)(1946)[独唱/ピアノ]

2)サハリン島先住民の三つの揺籃歌(ブールー ブールー/ブップン ルー/ウムプリ ヤーヤー)(伝承詩)(1949)[独唱/ピアノ]

3)アイヌの叙事詩に依る対話体牧歌(或る古老の唄った歌/北の海に死ぬ鳥の歌/阿姑子(あこし)と山姥(やまんば)の踊り歌)(伝承詩、知里真志保:訳)(1956)[独唱/ティンパニ]

4)摩周湖(ハープ版)(更科源蔵:詩)(1992)[独唱/ヴィオラ/ハープ]

5)シレトコ半島の漁夫の歌(更科源蔵:詩)(1960)[独唱(バス)/ピアノ]

6)頌詩「オホーツクの海」(更科源蔵:詩)(1958/1988)[独唱/ファゴット/コントラバス/ピアノ]

7)摩周湖(ピアノ版)(更科源蔵:詩)(1992)[独唱/ヴィオラ/ピアノ]

8)因幡万葉の歌五首(あらたしき/はるののに/はるのその/さよふけて/わがせこが)(大伴家持(1-4)、大伴坂上郎女(5):詩)(1994)[独唱/アルトフルート/二十五絃筝]

9)蒼鷺(更科源蔵:詩)(2000)[独唱/オーボエ/ピアノ/コントラバス]

10)聖なる泉(伊福部昭:詩)(1964/2000)[独唱/ヴィオラ/ファゴット/ハープ]

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アーメリングに寄せて

今日2月8日はソプラノ歌手エリー・アーメリング(Elly Ameling:1933.2.8−)の誕生日である。モーツァルト、シューベルトと記念日ネタばかり続いているが、やはりアーメリング信者としては外すわけにはいかないので一言触れておきたい。彼女が1996年に公式に歌手活動を引退してから早くも10年たってしまったが、その後も精力的に世界中で後進の指導をし続けている。彼女はリサイタルなどでも世界各地の様々な言語の歌を組み合わせて歌ったりしていたものだが、かつてCBSレーベルに録音された"SOUVENIRS"と題された1枚のLPレコードはまさに彼女の多才さを存分に味わえる楽しいものだった。こういう歌の数々を聴いていると彼女の温かく語りかけてくる音楽にいつまでも浸っていたくなる。最後の「アフリカーンスの子守歌」を聴き終えた時、心地よい余韻に包まれているのを感じずにはいられない。CDで復活する兆しも全くないが、図書館に置いてあることもあるので、ご紹介したいと思う。全曲原語での歌唱である。中田喜直の「おやすみなさい」の旋律美は彼女の声と表現を待っていたかのようだ。日本語の発音も重箱の隅をつつかなければ、充分音の特徴と心をとらえた見事な出来だと思う。共演は、彼女と最も緊密な関係を築いたアメリカの名ピアニスト、ドルトン・ボールドウィン(Dalton Baldwin:1931.12.19−)が担当している。

Elly Ameling(S) Dalton Baldwin(P)

1977年11月ニューヨーク録音

1)ロッシーニ(Rossini)/踊り(La danza)(伊)

2)カントルーブ(Canteloube)/「オーベルニュの歌」〜子守歌(Brezairola)(仏・オーベルニュ地方方言)

3)ロドリーゴ(Rodrigo)/お母さん、ポプラの林へ行ってきたよ(De los álamos vengo madre)(西)

4)ヴュイエルモズ(Vuillermoz)/愛の庭(Jardin d'amour)(仏)

5)ラフマニノフ(Rachmaninoff)/春の洪水(Весенние воды, Op. 14-11)(露)

6)アーン(Hahn)/最後のワルツ(La dernière valse)(仏)

7)アイヴズ(Ives)/追憶(Memories)(英)

8)シェーンベルク(Schönberg)/ギーゲルレッテ(Gigerlette)(独)

9)中田喜直/おやすみなさい(日)

10)パーセル(Purcell)/しばしの間の音楽(Music for a while)(英)

11)ウェルドン(Weldon)/目覚めている夜鳴き鶯(The Wakeful Nightingale)(英)

12)ブリテン(Britten)/おお、あわれよ(O Waly, Waly)(英)

13)マルタン(Martin)/菩提樹の下で(Unter der Linden)(独)

14)リスト(Liszt)/おお愛しうる限り愛してください(O lieb, so lang du lieben kannst, S. 298)(独)

15)シベリウス(Sibelius)/春は飛ぶが如く足早に(Våren flyktar hastigt, Op. 13-4)(スウェーデン)

16)オランダ民謡/母(Moeke)(蘭)

17)ヒュレブルック(Hullebroeck)/アフリカーンスの子守歌(Afrikaans Wiegeliedjie)(アフリカーンス)

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F=ディースカウ13種類の「ライアー弾き」

古今の歌曲の中でもシューベルトの歌曲集「冬の旅(Winterreise)」は世界中で評価の定まった名曲だろう。多くの男声歌手たちがレパートリーにしているが、とりわけバリトンのディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Dietrich Fischer-Dieskau:1925.5.28−2012.5.18)(以下F=Dと略す)はこの歌曲集を得意として、市販されている音源は13種類にも及んでいる。中には正規盤以外も含むが、その歴史は以下の通りである。

 

1)Klaus Billing(P):1948年1月19日Berlin放送録音:MOVIMENT MUSICA

 

2)Hermann Reutter(P):1952年10月4日Kölnライヴ録音:Verona

 

3)Hertha Klust(P):1953年11月6日Berlinライヴ録音:MELODRAM

 

4)Gerald Moore(P):1955年1月13〜14日Berlin録音:EMI

 

5)Gerald Moore(P):1955年7月4日Pradesライヴ録音(第5曲は停電の為録音無し):INA

 

6)Gerald Moore(P):1962年11月10, 17日Berlin録音:EMI

 

7)Jörg Demus(P):1965年5月11〜15日Berlin録音:Deutsche Grammophon

 

8)Gerald Moore(P):1971年8月18〜20日Berlin録音:Deutsche Grammophon

 

9)Maurizio Pollini(P):1978年8月23日Salzburgライヴ録音:FKM (CD-R), ORFEO (CD)

 

10)Alfred Brendel(P):1979年1月13日Berlin録音:TDK (DVD)

 

11)Daniel Barenboim(P):1979年1月19〜21日Berlin録音:Deutsche Grammophon

 

12)Alfred Brendel(P):1985年7月17〜24日Berlin録音:PHILIPS

 

13)Murray Perahia(P):1990年7月15〜18日Berlin録音:SONY CLASSICAL

 

これらの録音を「冬の旅」最終曲の「ライアー弾き(Der Leiermann)」で聴き比べてみた。

 

聴くことの出来る最初のF=Dの「冬の旅」は22歳の時の放送録音である。共演のクラウス・ビリング(1910-1991)についてF=Dは1992年の最後の来日公演インタビューで「放送局専属のピアニストでしてね。現在もなお健在でいらっしゃいますけれども。」と語っているが(「レコード芸術」1993年8月号)、その前年にビリングが亡くなっていたことを知らなかったのだろう。この録音を聴いて、まずF=Dの歌い方に驚いた。今F=Dの歌からイメージするものと大きく異なり、一昔前のロマンティックな歌いぶりが主流だった時代の名残が聞き取れるのである。ポルタメントの多さには驚かされた。「ライアー弾き」を、語るよりは朗々と歌い上げているのである。「完璧」という形容のされがちなF=Dもこの録音では音程の不安定さが聴かれ、「完璧」さが努力の賜物であることが分かる。歌いおさめはクレッシェンドではなく、最後の2行を同じぐらいの強調の仕方で歌っていた。ビリングのピアノはやや早めのテンポでぽつぽつと弾く右手が辻音楽師の雰囲気をうまく表現していた。

 

ビリング盤から4年(F=D27歳)経ったヘルマン・ロイター(1900−1985)との共演では、ロマンティックな歌い崩しはすでに姿を消し、現在我々が知るF=Dの歌が聴かれる。思い入れたっぷりの前回とは対照的に、つぶやくように語る表現に変わっている。歌いおさめはビリング盤と同様だが、はやめに一気に歌い進めるという感じだった。作曲家としてより著名なロイターはシュヴァルツコプフとも共演しているほどのピアノの名手で、楽譜から読みとったものを表現しようという意欲が強く感じられる。この曲では右手のリズムは均一に弾くものの、休符に意味をもたせた弾き方をしている。

 

ロイター盤の翌年(F=D28歳)はヘルタ・クルスト(1903−1970)との共演で、彼女はF=Dが初期に好んで共演したピアニストである。このコンビで数多くの録音が残されたが、F=Dの回想を読むと、この人はコレペティートルとしても非凡な才能を発揮していたらしい。F=Dの歌は、語る際の表情の付け方がより精妙になってきている。最後の歌いおさめ("Willst zu meinen Liedern deine Leier drehn?")では"deine Leier"のあたりから口調を強め、"drehn"(ライアーを回す=弾く)の単語を一旦クレッシェンドして、最後にディミヌエンドしている所が前の2つの録音とは異なる。クルストの演奏は、頻繁に出てくる右手の「八分音符+十六分音符+十六分休符」のリズムで「十六分音符」をスタッカート気味にすることにより「十六分休符」を際立たせているのが特徴的で、シューベルトの休符に息を吹き込んだ演奏となっていた。

 

その2年後、F=D29歳の時にジェラルド・ムーア(1899−1987)との最初の「冬の旅」が録音される。この名コンビの初顔合わせは1951年10月の録音(「美しい水車屋の娘」など)だったが、それから4年たってようやく「冬の旅」を録音したことになる。F=Dにとってこの曲集の最初のレコーディングスタジオでの録音ということもあって、前3種と比べると落ち着いて安定した出来栄えと言えるのではないか。もはやビリング盤でのムーディーな歌いぶりはここには聴かれない。シューベルトが「冬の旅」を作ったのが死の前年30歳の時だったから、ほぼ同年齢のF=Dの歌は、声の若さの中にもすでに完成された一つのスタイルを提示しているように思われる。歌いおさめは"Willst"から大きめな声で歌い、最後の"drehn"をそのまま引き伸ばして最後に減衰していくという解釈で、ビリング、ロイター盤とクルスト盤の両者を組み合わせたやり方と言えるかもしれない。ムーアは余計な表情を付けず、静かな緊張感で一貫している。

 

この半年後(F=D30歳)に同じムーアとフランス、プラドで演奏し、そのライヴ音源が昨年はじめて発売された。この時の演奏はF=Dの自伝でも触れられており、昔、諸井誠氏の文章でも読んだ記憶があるが、「菩提樹」の途中で停電になり、暗闇の中で二人は演奏を続け、この曲が終わってから明りがつくのを待っていたとのこと、従って、「菩提樹」の録音は存在しないことになる。このCDでは「菩提樹」のみ1953年のクルスト盤から拝借して24曲の演奏としているが、付属解説書の文章を読まない限り、クルストの名前は出てこない。マイナーレーベルとはいえ、その辺の表示は明示すべきではないか。F=Dは最後の箇所以外は一貫してつぶやくような弱声で通し、歌いおさめは"drehn"で急激なディミヌエンドをして消えそうな声で締めている。ムーアも後年のような豊かな表情づけを施さず、淡々と一定のテンポで弾き進めている。

 

この7年後(37歳)に同じムーアと今度はステレオ録音で再度録音した。ここではこのコンビはさらに安定した解釈で自在な演奏を聴かせている。声は若々しさの中にも熟した表現があり、心技の一つのピーク時代を思わせる。ムーアはほかのピアニストに比べ、十六分音符の後の休符をやや長めにとり、意味深さを強調している。歌の最後は"deine Leier"から強め、"drehn"で弱めていく。

 

3年後(39歳)にはウィーンっ子、イェルク・デームス(1928−)とDGに録音している。デームスとは「詩人の恋」や「マゲローネのロマンス」など多くの録音を残しており、この「冬の旅」録音時はシューベルトの単独の歌曲も6曲録音されてカップリングに加えられた。デームスはシュヴァルツコプフ、アーメリング、マティス、シュライアー、プライ、アーダムなど、ソロ・ピアニストの中では最も多くの歌手と共演したピアニストの一人だろう。デームスの歌曲演奏は賛否両論で、その「弾き崩し」が気になる人も少なくないようだ。「ウィーン風」という言葉で片付けていいものかどうか私には分からないが、少なくともF=Dと共演した演奏を聴く限り、行き過ぎた表現を感じることは私は無かった。ちょっとしたルバートも許容範囲内に思える。この「ライアー弾き」ではテンポを揺らすことは殆どなく、シューベルトの記したアクセント記号の箇所を他のピアニスト以上に強調しているのが印象的である。F=Dはデームスの特徴に影響されたのか、これ以前の演奏と比べて、強弱の幅やテンポの揺れを大きくとっている。"dreht, und seine Leier steht ihm nimmer still"の"dreht"は他の単語と同じ八分音符があてられているが、F=Dはここでかなり長め(付点八分音符に近いぐらい)に引き伸ばして、この単語を強調している。歌いおさめは"deine Leier"から盛り上げて、"drehn"で徐々に小さくしている。ところで余談だが、このデームスの名前"Jörg"は規則通りに発音すれば「イェルク」だが、F=Dが彼の名前を発音した時「イョルク」のように聞こえた。固有名詞ではウムラウトが無視されることがあるのだろうか(指揮者の「フランツ・ヴェルザー・メスト(Möst)」も実際には「モースト」と発音するという説がある。またドイツの都市"Soest"は独和辞典の発音記号が[zo:st]と記されている)。

 

デームス盤の6年後(F=D46歳)、再度、ステージ引退後のムーアとの録音が行われた。ムーアとは1966年からDGに「シューベルト歌曲大全集」を録音しており、この「冬の旅」もその一環として録音された。ここでのF=Dはビブラートを最低限に抑え、音程もぴたっと安定して1つの理想的な演奏を実現している。最後の箇所は"Willst"から少しづつ強めていき、"deine Leier"で急激に強め、"drehn"をしばらくそのまま強調して少し緩めて歌い終えるという解釈を聴かせ、このやり方がそれ以降の彼の主流になっているようだ。ムーアは一層自由闊達に自分の解釈を前面に出すようになり、録音がこれまでで最もよい状態であることも相まって説得力のある熟した演奏を披露している。前回よりさらに十六分休符を長めにとりながら行き過ぎないところにこのピアニストの優れた節度が感じられる。

 

この7年後(F=D53歳)にザルツブルク音楽祭でF=Dはマウリツィオ・ポッリーニ(1942−)を共演者に選び、その録音がCD−Rで出ている。F=Dがかつてこの時の放送用録音について、自分にはマイク1本でピアノに3本のマイクが設置されてバランスが悪いというようなことを言っていたが、確かにこの録音を聴くと、近くでかなり細かいニュアンスまで再現されるピアノに比べて、歌は少し離れて聞こえる。F=Dの歌はライヴであることも手伝ってか、起伏の大きな表現で、最後は"Willst zu"からすでに強く歌われていた。ポッリーニは、彼のシューベルト晩年のピアノ・ソナタの演奏が私の好みではなかったのだが、この「冬の旅」は悪くない。「ライアー弾き」ではゆっくりめのテンポで緊張感をもって弾き進め、間奏など良く歌っていた。ただ他のピアニストが注意深く扱う十六分休符をポッリーニは完全にペダルでつぶしてしまっていた。

 

この翌年の1月(F=D53歳)に彼は2人のピアニストと録音を残している。ダニエル・バレンボイム(1942−)とはすでにブラームス、ヴォルフなどの大きなプロジェクトで共演済みであったが、シューベルトでの録音は後にも先にもこの「冬の旅」のみである。F=Dは1970年代後半頃から声に渋みが出て、時に重く感じられるようにもなった。しかしまだテクニックの衰えを見せる前であり、「冬の旅」の主人公を老成した若者と解釈するならば、渋みの増したF=Dの声はこの曲の歌唱にプラスに働いていると言えるかもしれない。F=Dはこの演奏を、ほとんど弱声で通した。最後の行でも他の録音と異なり、彼は静かなまま歌を終え、「フォルテ」記号はバレンボイムが受け持った。押し以上に引くことの磁力を感じさせられた彼の歌であった。バレンボイムのパレットの豊かさは言うまでもないだろう。すでにヴォルフの演奏でその持ち駒の豊かさを披露していたが、この曲の静謐な緊張感の中に盛り込んだバレンボイムの音色の豊かさはただ脱帽の一言である。

 

同じ月に彼は映像でも「冬の旅」を残していた。確かTV用の録画だったと思うが、最近DVDで発売された。この時の共演者はアルフレート・ブレンデル(1931−)である。この映像で「ライアー弾き」はF=Dの横顔のアップに終始しているが、一点を見つめ鬼気迫る表情のF=Dを見ると、こちらも息を殺してじっと聴き入ってしまう。バレンボイム盤ほど弱声で一貫しているわけではないが、こちらも声のパワーで強引にという感じではない。ブレンデルは1980年代にF=Dといくつかの歌曲の録音を残しているが、このDVDでの演奏はあくの強さ、自己主張はそれほど強くなく、自分の音楽を聴かせながらもF=Dと協調する姿勢が見られる。余談だが、このDVDでは第10曲「休息(Rast)」の解釈が興味深かった。この曲は2節の有節形式で出来ているが、第1稿と第2稿で各節最後の旋律が異なっている。我々がよく耳にし、F=Dも採用している第2稿はジグザグの下降音型だが、第1稿は低い音から上昇し、また下がるアーチ型になっている。シュライアーは常に第1稿で歌っているが、F=DはこのDVDで、最初の節で第1稿を取り入れ、2節目はいつもの第2稿で歌うという変わったやり方をしている。

 

その6年後(F=D60歳)には再度ブレンデルと、今度はCD録音を行った。こちらのブレンデルの演奏は美しく歌うが、主張が強すぎて歌と対決しているかのようだ。「ライアー弾き」に歌とピアノの刺激的なぶつかり合いは不要ではないか。もはや美声の時代を過ぎたF=Dは表現の深化をめざし、より自然な歌い方になっている。最後の箇所は"drehn"を徐々に膨らましていく程度である。

 

その5年後(F=D65歳)に最後のスタジオ録音をマレイ・ペライア(1947−)と共に行う。これは映像と共にとられた音源で、初出当時はLDでも発売されたようだ。F=Dは20以上も年の離れた実力派を迎えて今一度の若返りを図ろうとしているかのように激しい歌いぶりを聞かせる。弱声は聞こえるか聞こえないかの限界のつぶやきに抑えるかと思えば、最後の"drehn"で急激に激しいクレッシェンドをかけて、濃淡の幅がより自由自在に感じられる。ペライアは音が美しく、曲の静謐さを保ちながらの詩に則した表現力の豊かさが印象づけられた。

 

フィッシャー=ディースカウはこの2年後の1992年12月31日をもって、歌手活動から引退した。

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