« シューベルトの誕生日 | トップページ | アーメリングに寄せて »

F=ディースカウ13種類の「ライアー弾き」

古今の歌曲の中でもシューベルトの歌曲集「冬の旅(Winterreise)」は世界中で評価の定まった名曲だろう。多くの男声歌手たちがレパートリーにしているが、とりわけバリトンのディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Dietrich Fischer-Dieskau:1925.5.28−2012.5.18)(以下F=Dと略す)はこの歌曲集を得意として、市販されている音源は13種類にも及んでいる。中には正規盤以外も含むが、その歴史は以下の通りである。

 

1)Klaus Billing(P):1948年1月19日Berlin放送録音:MOVIMENT MUSICA

 

2)Hermann Reutter(P):1952年10月4日Kölnライヴ録音:Verona

 

3)Hertha Klust(P):1953年11月6日Berlinライヴ録音:MELODRAM

 

4)Gerald Moore(P):1955年1月13〜14日Berlin録音:EMI

 

5)Gerald Moore(P):1955年7月4日Pradesライヴ録音(第5曲は停電の為録音無し):INA

 

6)Gerald Moore(P):1962年11月10, 17日Berlin録音:EMI

 

7)Jörg Demus(P):1965年5月11〜15日Berlin録音:Deutsche Grammophon

 

8)Gerald Moore(P):1971年8月18〜20日Berlin録音:Deutsche Grammophon

 

9)Maurizio Pollini(P):1978年8月23日Salzburgライヴ録音:FKM (CD-R), ORFEO (CD)

 

10)Alfred Brendel(P):1979年1月13日Berlin録音:TDK (DVD)

 

11)Daniel Barenboim(P):1979年1月19〜21日Berlin録音:Deutsche Grammophon

 

12)Alfred Brendel(P):1985年7月17〜24日Berlin録音:PHILIPS

 

13)Murray Perahia(P):1990年7月15〜18日Berlin録音:SONY CLASSICAL

 

これらの録音を「冬の旅」最終曲の「ライアー弾き(Der Leiermann)」で聴き比べてみた。

 

聴くことの出来る最初のF=Dの「冬の旅」は22歳の時の放送録音である。共演のクラウス・ビリング(1910-1991)についてF=Dは1992年の最後の来日公演インタビューで「放送局専属のピアニストでしてね。現在もなお健在でいらっしゃいますけれども。」と語っているが(「レコード芸術」1993年8月号)、その前年にビリングが亡くなっていたことを知らなかったのだろう。この録音を聴いて、まずF=Dの歌い方に驚いた。今F=Dの歌からイメージするものと大きく異なり、一昔前のロマンティックな歌いぶりが主流だった時代の名残が聞き取れるのである。ポルタメントの多さには驚かされた。「ライアー弾き」を、語るよりは朗々と歌い上げているのである。「完璧」という形容のされがちなF=Dもこの録音では音程の不安定さが聴かれ、「完璧」さが努力の賜物であることが分かる。歌いおさめはクレッシェンドではなく、最後の2行を同じぐらいの強調の仕方で歌っていた。ビリングのピアノはやや早めのテンポでぽつぽつと弾く右手が辻音楽師の雰囲気をうまく表現していた。

 

ビリング盤から4年(F=D27歳)経ったヘルマン・ロイター(1900−1985)との共演では、ロマンティックな歌い崩しはすでに姿を消し、現在我々が知るF=Dの歌が聴かれる。思い入れたっぷりの前回とは対照的に、つぶやくように語る表現に変わっている。歌いおさめはビリング盤と同様だが、はやめに一気に歌い進めるという感じだった。作曲家としてより著名なロイターはシュヴァルツコプフとも共演しているほどのピアノの名手で、楽譜から読みとったものを表現しようという意欲が強く感じられる。この曲では右手のリズムは均一に弾くものの、休符に意味をもたせた弾き方をしている。

 

ロイター盤の翌年(F=D28歳)はヘルタ・クルスト(1903−1970)との共演で、彼女はF=Dが初期に好んで共演したピアニストである。このコンビで数多くの録音が残されたが、F=Dの回想を読むと、この人はコレペティートルとしても非凡な才能を発揮していたらしい。F=Dの歌は、語る際の表情の付け方がより精妙になってきている。最後の歌いおさめ("Willst zu meinen Liedern deine Leier drehn?")では"deine Leier"のあたりから口調を強め、"drehn"(ライアーを回す=弾く)の単語を一旦クレッシェンドして、最後にディミヌエンドしている所が前の2つの録音とは異なる。クルストの演奏は、頻繁に出てくる右手の「八分音符+十六分音符+十六分休符」のリズムで「十六分音符」をスタッカート気味にすることにより「十六分休符」を際立たせているのが特徴的で、シューベルトの休符に息を吹き込んだ演奏となっていた。

 

その2年後、F=D29歳の時にジェラルド・ムーア(1899−1987)との最初の「冬の旅」が録音される。この名コンビの初顔合わせは1951年10月の録音(「美しい水車屋の娘」など)だったが、それから4年たってようやく「冬の旅」を録音したことになる。F=Dにとってこの曲集の最初のレコーディングスタジオでの録音ということもあって、前3種と比べると落ち着いて安定した出来栄えと言えるのではないか。もはやビリング盤でのムーディーな歌いぶりはここには聴かれない。シューベルトが「冬の旅」を作ったのが死の前年30歳の時だったから、ほぼ同年齢のF=Dの歌は、声の若さの中にもすでに完成された一つのスタイルを提示しているように思われる。歌いおさめは"Willst"から大きめな声で歌い、最後の"drehn"をそのまま引き伸ばして最後に減衰していくという解釈で、ビリング、ロイター盤とクルスト盤の両者を組み合わせたやり方と言えるかもしれない。ムーアは余計な表情を付けず、静かな緊張感で一貫している。

 

この半年後(F=D30歳)に同じムーアとフランス、プラドで演奏し、そのライヴ音源が昨年はじめて発売された。この時の演奏はF=Dの自伝でも触れられており、昔、諸井誠氏の文章でも読んだ記憶があるが、「菩提樹」の途中で停電になり、暗闇の中で二人は演奏を続け、この曲が終わってから明りがつくのを待っていたとのこと、従って、「菩提樹」の録音は存在しないことになる。このCDでは「菩提樹」のみ1953年のクルスト盤から拝借して24曲の演奏としているが、付属解説書の文章を読まない限り、クルストの名前は出てこない。マイナーレーベルとはいえ、その辺の表示は明示すべきではないか。F=Dは最後の箇所以外は一貫してつぶやくような弱声で通し、歌いおさめは"drehn"で急激なディミヌエンドをして消えそうな声で締めている。ムーアも後年のような豊かな表情づけを施さず、淡々と一定のテンポで弾き進めている。

 

この7年後(37歳)に同じムーアと今度はステレオ録音で再度録音した。ここではこのコンビはさらに安定した解釈で自在な演奏を聴かせている。声は若々しさの中にも熟した表現があり、心技の一つのピーク時代を思わせる。ムーアはほかのピアニストに比べ、十六分音符の後の休符をやや長めにとり、意味深さを強調している。歌の最後は"deine Leier"から強め、"drehn"で弱めていく。

 

3年後(39歳)にはウィーンっ子、イェルク・デームス(1928−)とDGに録音している。デームスとは「詩人の恋」や「マゲローネのロマンス」など多くの録音を残しており、この「冬の旅」録音時はシューベルトの単独の歌曲も6曲録音されてカップリングに加えられた。デームスはシュヴァルツコプフ、アーメリング、マティス、シュライアー、プライ、アーダムなど、ソロ・ピアニストの中では最も多くの歌手と共演したピアニストの一人だろう。デームスの歌曲演奏は賛否両論で、その「弾き崩し」が気になる人も少なくないようだ。「ウィーン風」という言葉で片付けていいものかどうか私には分からないが、少なくともF=Dと共演した演奏を聴く限り、行き過ぎた表現を感じることは私は無かった。ちょっとしたルバートも許容範囲内に思える。この「ライアー弾き」ではテンポを揺らすことは殆どなく、シューベルトの記したアクセント記号の箇所を他のピアニスト以上に強調しているのが印象的である。F=Dはデームスの特徴に影響されたのか、これ以前の演奏と比べて、強弱の幅やテンポの揺れを大きくとっている。"dreht, und seine Leier steht ihm nimmer still"の"dreht"は他の単語と同じ八分音符があてられているが、F=Dはここでかなり長め(付点八分音符に近いぐらい)に引き伸ばして、この単語を強調している。歌いおさめは"deine Leier"から盛り上げて、"drehn"で徐々に小さくしている。ところで余談だが、このデームスの名前"Jörg"は規則通りに発音すれば「イェルク」だが、F=Dが彼の名前を発音した時「イョルク」のように聞こえた。固有名詞ではウムラウトが無視されることがあるのだろうか(指揮者の「フランツ・ヴェルザー・メスト(Möst)」も実際には「モースト」と発音するという説がある。またドイツの都市"Soest"は独和辞典の発音記号が[zo:st]と記されている)。

 

デームス盤の6年後(F=D46歳)、再度、ステージ引退後のムーアとの録音が行われた。ムーアとは1966年からDGに「シューベルト歌曲大全集」を録音しており、この「冬の旅」もその一環として録音された。ここでのF=Dはビブラートを最低限に抑え、音程もぴたっと安定して1つの理想的な演奏を実現している。最後の箇所は"Willst"から少しづつ強めていき、"deine Leier"で急激に強め、"drehn"をしばらくそのまま強調して少し緩めて歌い終えるという解釈を聴かせ、このやり方がそれ以降の彼の主流になっているようだ。ムーアは一層自由闊達に自分の解釈を前面に出すようになり、録音がこれまでで最もよい状態であることも相まって説得力のある熟した演奏を披露している。前回よりさらに十六分休符を長めにとりながら行き過ぎないところにこのピアニストの優れた節度が感じられる。

 

この7年後(F=D53歳)にザルツブルク音楽祭でF=Dはマウリツィオ・ポッリーニ(1942−)を共演者に選び、その録音がCD−Rで出ている。F=Dがかつてこの時の放送用録音について、自分にはマイク1本でピアノに3本のマイクが設置されてバランスが悪いというようなことを言っていたが、確かにこの録音を聴くと、近くでかなり細かいニュアンスまで再現されるピアノに比べて、歌は少し離れて聞こえる。F=Dの歌はライヴであることも手伝ってか、起伏の大きな表現で、最後は"Willst zu"からすでに強く歌われていた。ポッリーニは、彼のシューベルト晩年のピアノ・ソナタの演奏が私の好みではなかったのだが、この「冬の旅」は悪くない。「ライアー弾き」ではゆっくりめのテンポで緊張感をもって弾き進め、間奏など良く歌っていた。ただ他のピアニストが注意深く扱う十六分休符をポッリーニは完全にペダルでつぶしてしまっていた。

 

この翌年の1月(F=D53歳)に彼は2人のピアニストと録音を残している。ダニエル・バレンボイム(1942−)とはすでにブラームス、ヴォルフなどの大きなプロジェクトで共演済みであったが、シューベルトでの録音は後にも先にもこの「冬の旅」のみである。F=Dは1970年代後半頃から声に渋みが出て、時に重く感じられるようにもなった。しかしまだテクニックの衰えを見せる前であり、「冬の旅」の主人公を老成した若者と解釈するならば、渋みの増したF=Dの声はこの曲の歌唱にプラスに働いていると言えるかもしれない。F=Dはこの演奏を、ほとんど弱声で通した。最後の行でも他の録音と異なり、彼は静かなまま歌を終え、「フォルテ」記号はバレンボイムが受け持った。押し以上に引くことの磁力を感じさせられた彼の歌であった。バレンボイムのパレットの豊かさは言うまでもないだろう。すでにヴォルフの演奏でその持ち駒の豊かさを披露していたが、この曲の静謐な緊張感の中に盛り込んだバレンボイムの音色の豊かさはただ脱帽の一言である。

 

同じ月に彼は映像でも「冬の旅」を残していた。確かTV用の録画だったと思うが、最近DVDで発売された。この時の共演者はアルフレート・ブレンデル(1931−)である。この映像で「ライアー弾き」はF=Dの横顔のアップに終始しているが、一点を見つめ鬼気迫る表情のF=Dを見ると、こちらも息を殺してじっと聴き入ってしまう。バレンボイム盤ほど弱声で一貫しているわけではないが、こちらも声のパワーで強引にという感じではない。ブレンデルは1980年代にF=Dといくつかの歌曲の録音を残しているが、このDVDでの演奏はあくの強さ、自己主張はそれほど強くなく、自分の音楽を聴かせながらもF=Dと協調する姿勢が見られる。余談だが、このDVDでは第10曲「休息(Rast)」の解釈が興味深かった。この曲は2節の有節形式で出来ているが、第1稿と第2稿で各節最後の旋律が異なっている。我々がよく耳にし、F=Dも採用している第2稿はジグザグの下降音型だが、第1稿は低い音から上昇し、また下がるアーチ型になっている。シュライアーは常に第1稿で歌っているが、F=DはこのDVDで、最初の節で第1稿を取り入れ、2節目はいつもの第2稿で歌うという変わったやり方をしている。

 

その6年後(F=D60歳)には再度ブレンデルと、今度はCD録音を行った。こちらのブレンデルの演奏は美しく歌うが、主張が強すぎて歌と対決しているかのようだ。「ライアー弾き」に歌とピアノの刺激的なぶつかり合いは不要ではないか。もはや美声の時代を過ぎたF=Dは表現の深化をめざし、より自然な歌い方になっている。最後の箇所は"drehn"を徐々に膨らましていく程度である。

 

その5年後(F=D65歳)に最後のスタジオ録音をマレイ・ペライア(1947−)と共に行う。これは映像と共にとられた音源で、初出当時はLDでも発売されたようだ。F=Dは20以上も年の離れた実力派を迎えて今一度の若返りを図ろうとしているかのように激しい歌いぶりを聞かせる。弱声は聞こえるか聞こえないかの限界のつぶやきに抑えるかと思えば、最後の"drehn"で急激に激しいクレッシェンドをかけて、濃淡の幅がより自由自在に感じられる。ペライアは音が美しく、曲の静謐さを保ちながらの詩に則した表現力の豊かさが印象づけられた。

 

フィッシャー=ディースカウはこの2年後の1992年12月31日をもって、歌手活動から引退した。

| |

« シューベルトの誕生日 | トップページ | アーメリングに寄せて »

音楽」カテゴリの記事

バリトン歌手」カテゴリの記事

ピアニスト」カテゴリの記事

シューベルト」カテゴリの記事

コメント

《新しいもの、不思議なもの、稀有なものに惹かれ、求めてやまない》(ライアル・ワトソン)僕らの世界。本日もたいへん勉強になりました。梅丘歌曲会館「詩と音楽」 更新情報 と共に僕はフランツさんを敬愛しております。いつもの怠惰のために遅々として勉強の捗らない老人より。

投稿: 鴨長明 | 2006年2月 7日 (火曜日) 03時07分

鴨長明様、いつもご訪問有難うございます。私の駄文におつきあいいただき恐縮な気持ちです。鴨長明様のブログにはいつも深い言葉が散りばめられていて、問い掛けたり、じっくり考えたりすることを学ばせていただいています。私の方こそ、鴨長明様の趣のある文章からこれからも勉強させていただきたいと思います。

投稿: フランツ | 2006年2月 7日 (火曜日) 22時48分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: F=ディースカウ13種類の「ライアー弾き」:

« シューベルトの誕生日 | トップページ | アーメリングに寄せて »