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シューベルトの誕生日

今日1月31日はフランツ・ペーター・シューベルトの209回目の誕生日です。彼は1797年にウィーン北西のヒンメルプフォルトグルントという場所で学校長のフランツ・テーオドール・フローリアンとマリーア・エリーザベト・カテリーナの間に生まれます。14人の子供のうち成長したのは5人だけだったそうです。

ライアー弾き(Der Leiermann)

あの村のはずれに
ライアーを弾く男が立っている。
そしてかじかむ指で
精一杯奏でている。

素足のまま氷の上を
あちらこちら、ふらふらと歩いている。
それでも彼の小さな皿は
いつも空のままだ。

誰も彼を聞こうとせず、
彼を見ようともしない。
そして犬はうなる、
この男の周りで。

こうして彼は
すべてをなりゆきに任せ、
奏で続け、彼のライアーが
鳴り止むことは決してない。

不思議なご老人よ、
あなたと共に行こうか。
私の歌に合わせ、
あなたのライアーを奏でてくれまいか。

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モーツァルトの誕生日

モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart:1756.1.27. Salzburg−1791.12.5. Wien)の250回目の誕生日を祝して。

クローエに(An Chloe), K. 524

愛が、君の青く
明るい、見開いた目から見つめる時、
そして覗き込みたい欲求にかられて
僕の心がどきどき燃え上がる時、

僕は君をつかみ、
君のあたたかいバラ色の頬にキスをする。
いとしい娘よ、そして僕は君を
震えながら腕の中に抱え込むのだ!

娘よ、娘、僕は
胸に君をしっかりと押しあてる。
この胸は最後の瞬間に、
死に行く時にのみ君を離すのだ。

僕のうっとりとした目を
暗い雲が覆い隠す。
その時僕はぐったりと座っている、
でも幸せなのだ、君のとなりにいられて。

(※ヤコービ(Johann Georg Jacobi:1740.9.2. Düsseldorf−1814.1.4. Freiburg)の詩による1787年6月24日の作品)

←アーメリング&ボールドウィン(1977年録音)

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クリストフのロシア歌曲集

相互リンクをさせていただいている「梅丘歌曲会館」で目下FUJIIさんがロシア歌曲の特集をされていますが、まとめてロシア歌曲を聴きたい時のアンソロジーとしてボリス・クリストフ(Boris Christoff:Борис Христов:1914.5.18−1993.6.23)のCDがちょうどいいのではないでしょうか(EMI CLASSICS:CZS 7 67496 2)。クロストフは最近話題の力士と同様ブルガリア出身のバス歌手で、グリンカ、ボロディン、キュイ、バラキレフ、リムスキー=コルサコフ、チャイコフスキー、ラフマニノフ、それにロシア民謡を歌っています(ロシア歌曲の大御所ムソルクスキーが収録されていませんが、クリストフはムソルクスキー歌曲全集を別に録音していて、「子供部屋」などファルセットを駆使して見事に聴かせてくれます)。ヒュッシュやF=ディースカウがドイツ歌曲で、あるいはベルナックやスゼーがフランス歌曲で成し遂げたことをロシア歌曲で行ったのがクリストフと言えるかもしれません。どの曲も充分な味わいとばらつきのない完成度を誇り、バス歌手なのに重すぎず、安心して作品を楽しむことが出来ます。このロシア歌曲集に収録されている曲は各作曲家の代表作がほぼ網羅されているのではないかと思いますが(ボロディンはほとんど全曲収録されています)、例えばグリンカの「子守歌」ではピアノのほかにチェロの助奏が加わることにより、死に誘うかのような響きが強まり、聴き物です。同じく有名な「疑い」でもチェロの甘美な響きがクリストフの悲痛な表情を強調しています。

数曲のオケ共演のほかは数人のピアニストが共演していますが、クリストフの良き共演者で素晴らしい演奏を聴かせているアレクサンドル・ラビンスキー(Aleksandr Labinsky:Александр Лабинский:1894−1963)のほかに、ボロディンやバラキレフの歌曲を作曲家でピアニストでもあったチェレプニン(Aleksandr Tcherepnin:Александр Черепнин:1899.1.20−1977.9.29)が弾いているのも興味深いところです。

曲目リストはこちらを御覧ください。

このCDは残念ながらすでに製造中止になっているようで、amazonでもイギリスのamazonに中古が売られているぐらいなので、図書館か中古店を探すしかないと思いますが、文京区の図書館に国内LP(バラ)が所蔵されているようなので興味のある方は館外貸出しを利用されるのもいいかもしれません。

amazon.co.uk(イギリスのサイト)でいくつか試聴も出来ます。

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ミュラー「凍った涙」

今日関東地方は朝から久しぶりの雪です。6cmを超すのは5年ぶりなんだとか。こういう日にシューベルトの「冬の旅」を聴くのも悪くないでしょう。第3曲「Gefrorne Tränen(凍った涙)」(ミュラー:詩)をご紹介します。

凍った涙

凍ったしずくが
私の頬から落ちて行く。
気付かなかったのだろうか、
自分が泣いていたことを。

おい、涙よ、わが涙、
それなのにお前はこんなにもなまぬるいのか、
固まって氷になってしまうほどに、
冷えた朝露のように。

それなら、ほとばしりでるがよい、
熱く燃えさかる胸の泉から、
冬の氷をすべて
溶かし尽くそうとするかのように。

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シューベルト:ミュラー歌曲

ゲーテ、マイアホーファーの次にシューベルトが多く作曲した詩人は、「美しい水車屋の娘」「冬の旅」の詩人ヴィルヘルム・ミュラー(Johann Ludwig Wilhelm Müller:1794年10月7日Dessau-1827年10月1日Dessau)である。生没年を見れば明らかなようにシューベルト(1797-1828)と同時代を生きた人であり、短命だったことも共通している。トルコからのギリシャ独立戦争を擁護し、「ギリシャ人の歌(Lieder der Griechen:1821年)」などを書き、「ギリシャ人ミュラー(Griechen-Müller)」と呼ばれたが、ギリシャを訪れたことはなかったそうだ。アルニム、ブレンターノ、ティーク、ウーラントなどと交遊があり、ハイネに賞賛されている。シューベルトとの交流はなかった。

シューベルトのミュラーへの付曲は歌曲集「美しい水車屋の娘(Die schöne Müllerin, D795)」(20曲)と歌曲集「冬の旅(Winterreise, D911)」(24曲)、それにザイドルの詩による「鳩の便り(Taubenpost, D965A)」と共にシューベルトの絶筆と言われているクラリネット助奏付きの「岩の上の羊飼い(Der Hirt auf dem Felsen, D965)」の計45曲である。「岩の上の羊飼い」は、「ロザムンデ」の詩人シェジーと推測されている詩をミュラーの複数の詩が包み込む形で1曲にまとめた珍しい付曲方法である。

D795-1 (Op. 25-1) さすらい(Das Wandern)(変ロ長調) 1823年10月~11月

D795-2 (Op. 25-2) どこへ(Wohin?)(ト長調) 1823年10月~11月

D795-3 (Op. 25-3) 止まれ(Halt!)(ハ長調) 1823年10月~11月

D795-4 (Op. 25-4) 小川への感謝(Danksagung an den Bach)(ト長調) 1823年10月~11月

D795-5 (Op. 25-5) 仕事を終えて(Am Feierabend)(イ短調) 1823年10月~11月

D795-6 (Op. 25-6) 知りたがる男(Der Neugierige)(ロ長調) 1823年10月~11月

D795-7 (Op. 25-7) いらだち(Ungeduld)(イ長調) 1823年10月~11月

D795-8 (Op. 25-8) 朝の挨拶(Morgengruss)(ハ長調) 1823年10月~11月

D795-9 (Op. 25-9) 水車屋の花(Des Müllers Blumen)(イ長調) 1823年10月~11月

D795-10 (Op. 25-10) 涙の雨(Tränenregen)(イ長調) 1823年10月~11月

D795-11 (Op. 25-11) わたしのもの(Mein!)(ニ長調) 1823年10月~11月

D795-12 (Op. 25-12) 休み(Pause)(変ロ長調) 1823年10月~11月

D795-13 (Op. 25-13) リュートの緑のリボンに添えて(Mit dem grünen Lautenbande)(変ロ長調) 1823年10月~11月

D795-14 (Op. 25-14) 狩人(Der Jäger)(ハ短調) 1823年10月~11月

D795-15 (Op. 25-15) 嫉妬と誇り(Eifersucht und Stolz)(ト短調) 1823年10月~11月

D795-16 (Op. 25-16) 好きな色(Die liebe Farbe)(ロ短調) 1823年10月~11月

D795-17 (Op. 25-17) 嫌な色(Die böse Farbe)(ロ長調) 1823年10月~11月

D795-18 (Op. 25-18) しぼめる花(Trockne Blumen)(ホ短調) 1823年10月~11月

D795-19 (Op. 25-19) 水車屋と小川(Der Müller und der Bach)(ト短調) 1823年10月~11月

D795-20 (Op. 25-20) 小川の子守歌(Des Baches Wiegenlied)(ホ長調) 1823年10月~11月

D911-1 (Op. 89-1) おやすみ(Gute Nacht)(ニ短調) 1827年2月~春

D911-2 (Op. 89-2) 風見の旗(Die Wetterfahne)(イ短調) 1827年2月~春

D911-3 (Op. 89-3) 凍れる涙(Gefrorne Tränen)(ヘ短調) 1827年2月~春

D911-4 (Op. 89-4) かじかみ(Erstarrung)(ハ短調) 1827年2月~春

D911-5 (Op. 89-5) 菩提樹(Der Lindenbaum)(ホ長調) 1827年2月~春

D911-6 (Op. 89-6) あふれる涙(Wasserflut)(全2稿)(嬰ヘ短調/ホ短調) 1827年2月~春

D911-7 (Op. 89-7) 川の上で(Auf dem Flusse)(ホ短調) 1827年2月~春

D911-8 (Op. 89-8) 顧みて(Rückblick)(ト短調) 1827年2月~春

D911-9 (Op. 89-9) 鬼火(Irrlicht)(ロ短調) 1827年2月~春

D911-10 (Op. 89-10) 休息(Rast)(全2稿)(ハ短調/ニ短調) 1827年2月~春

D911-11 (Op. 89-11) 春の夢(Frühlingstraum)(イ長調) 1827年2月~春

D911-12 (Op. 89-12) 孤独(Einsamkeit)(全2稿)(ロ短調/ニ短調) 1827年2月~春

D911-13 (Op. 89-13) 郵便馬車(Die Post)(変ホ長調) 1827年10月

D911-14 (Op. 89-14) 霜置く髪(Der greise Kopf)(ハ短調) 1827年10月

D911-15 (Op. 89-15) 烏(Die Krähe)(ハ短調) 1827年10月

D911-16 (Op. 89-16) 最後の希望(Letzte Hoffnung)(変ホ長調) 1827年10月

D911-17 (Op. 89-17) 村で(Im Dorfe)(ニ長調) 1827年10月

D911-18 (Op. 89-18) 嵐の朝(Der stürmische Morgen)(ニ短調) 1827年10月

D911-19 (Op. 89-19) 幻(Täuschung)(イ長調) 1827年10月

D911-20 (Op. 89-20) 道しるべ(Der Wegweiser)(ト短調) 1827年10月

D911-21 (Op. 89-21) 宿屋(Das Wirtshaus)(ヘ長調) 1827年10月

D911-22 (Op. 89-22) 勇気(Mut)(全2稿)(イ短調/ト短調) 1827年10月

D911-23 (Op. 89-23) 幻日(Die Nebensonnen)(全2稿)(イ長調) 1827年10月

D911-24 (Op. 89-24) ライアー弾き(Der Leiermann)(全2稿)(イ短調/ロ短調) 1827年10月

D965 (Op. 129) 岩の上の羊飼い(Der Hirt auf dem Felsen)(変ロ長調) 1828年10月

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リンク集追加

私が日頃からお世話になっている3つのサイトをリンク集に加えました。

鶴太屋本舗」は私が以前勤めていた会社で一緒に働いていた鶴太屋さんのブログです。鶴太屋さんの日常が目に見えるように描写されています。彼は短歌を詠み、漫画を味わい、古書店に通い、ネットサーフィンで情報を見て回り、ジャズやポップスなどの音楽を楽しみます。文才に長けた彼の筆致が未知の世界へ誘ってくれます。是非御覧ください。

歌曲会館「詩と音楽」は甲斐さんとFUJIIさんの共同運営のサイトで「詩の紹介をメインとしながら、音楽や好みの歌い手などにも触れ、紹介するサイト」と記されています。私も掲示板のあった頃からお世話になり、歌曲の投稿もさせていただいています(今後も続けます)。クラシック歌曲の枠も取っ払われて、ポピュラーソング、中国語の歌、日本の伝統楽器を従えた歌、戦争にちなんだ歌など際限なく広がる歌の世界が目の前に開けているのに驚かれると思います。訳詞の原語も独仏伊英などにとどまりません。ぜひこの広大な世界に触れてみてください。甲斐さん、FUJIIさんをはじめとする投稿者の方々の思いの深さと充実した内容を実感されることと思います。

クラシック招き猫」は歌曲会館と同じ甲斐さんの運営による掲示板サイトの老舗で、わが国で最も著名なクラシックBBSサイトと言えるのではないでしょうか。クラシック一般の話題から、録音紹介、演奏会報告、放送で聴いたコンサートの感想、CD化希望、オペラ、室内楽など、話題によって分けられた掲示板で音楽を愛してやまない方たちの熱い意見交換が見られます。レスの早さも特徴の一つだと思います。

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ウィーン・リング・アンサンブル/コンサート(2006年1月13日 紀尾井ホール)

2006年最初のコンサートは1月13日(金)紀尾井ホールでのウィーン・リング・アンサンブル(Wiener Ring Ensemble)のニューイヤーコンサートでした。これも急遽行くことになったコンサートでしたが、ウィーン・フィルの選りすぐりの名手ばかり9人もそろえた超豪華なアンサンブルです。早稲田大学創立125周年記念企画と銘打たれ、普通なら500円ぐらいしそうな冊子体のパンフレットも無料で配布されました。プログラムは以下の通りです。

モーツァルト/「後宮からの逃走」序曲

J.シュトラウス2世/皇帝円舞曲Op.437

ヨーゼフ・シュトラウス/ポルカ・マズルカ「とんぼ」Op.204

J.シュトラウス2世/ニコ・ポルカOp.228;ワルツ「南国のばら」Op.388;農夫のポルカOp.276

<休憩>

レハール/ワルツ「金と銀」Op.79

ツィーラー/ワイン畑のギャロップOp.332

ランナー/ワルツ「モーツァルト党」Op.196

J.シュトラウス2世/狂乱のポルカOp.260

ミレッカー/オペレッタ「乞食学生」メドレー

J.シュトラウス2世/ポルカ・シュネル「観光列車」Op.281

<アンコール>(1)J.シュトラウス2世/「騎士パスマン」~チャルダーシュ;(2)J.シュトラウス1世/ラデツキー行進曲;(3)菅野由弘編曲/早稲田大学校歌

演奏は、ライナー・キュッヒル(VLN)、エックハルト・ザイフェルト(VLN)、ハインリヒ・コル(VLA)、ゲルハルト・イーベラー(VLC)、アロイス・ポッシュ(CB)、ヴォルフガング・シュルツ(FL)、ペーター・シュミードル(CL)、ヨーハン・ヒントラー(CL)、ギュンター・ヘーグナー(HR)の9名。

ウィーンのニューイヤーコンサートのプログラムを思わせる気楽で肩の凝らない内容でしたが、じっくり聴いてみるとワルツやポルカにもいろいろあることが今さらながら分かり、目を開かれる思いでした。例えば前半4曲目の「ニコ・ポルカ」はこれまでの明るく楽しい曲調とは違い、哀愁を帯びた独特の雰囲気が異質に感じられたのですが、パンフレットでの白石隆生氏の解説によると、J.シュトラウスは1856年から毎年のようにロシアに演奏旅行に出かけ大成功をおさめたそうで、ロシア民謡を取り入れているそうです。後半の「狂乱のポルカ」など、そのタイトルを裏切らない刺激的で不安定な音楽がシュトラウスの音楽の幅広さを感じさせないわけにはいきません。プログラム最後の「観光列車」は、ウィーンの遊覧鉄道開通式のために作曲されたとのこと、社会や自らの人生とリンクした曲の数々を知り、「美しき青きドナウ」のような優美さばかりイメージしていた自分の不明を恥じることとなりました。

演奏については、どこそこが上手いなどという批評はもはや無意味なほど安定した熟練技で、上質なエンターテイメントをたっぷりと満喫させてくれました。前半最後の「農夫のポルカ」は途中でクラリネットのヒントラーが楽器を他の人たちの方に向けて邪魔をする仕草が楽しく、途中で弦楽奏者が合唱をはじめたりと農夫の祭りのような演出も見事でした。実際、この曲の当時の演奏会で聴衆がメロディーを覚えて一緒に歌ったそうで、それに倣った演出なのかもしれません。最終曲の「観光列車」ではフルートのシュルツが車掌さんの帽子をかぶり、警笛の音をたてながら盛り上げて予定されたプログラムを終了しました。

アンコール3曲は1曲目がシュトラウスのチャルダーシュの音楽、2曲目は聴衆の手拍子とともにラデツキー行進曲、最後は主催者への配慮からか早稲田大学の校歌が奏されました。9名全員への花束贈呈もおそらく早稲田の学生でしょう。

パンフレットを見て思ったのが、ヨーハン・シュトラウスにしても、ヨーゼフ・シュトラウスやツィーラーにしても、作品番号が大きいことに気付きました。こういう音楽は当時から需要が高かったのでしょう。ウィーンの環状道路「リング」にちなんで命名されたという「ウィーン・リング・アンサンブル」の上質の演奏で、100年以上前のダンス音楽をゆったりと楽しめた一夜でした。

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ビルギット・ニルソン追悼

スウェーデンの名ソプラノ、ビルギット・ニルソン(Birgit Nilsson:1918.5.17-2005.12.25)が昨年のクリスマスに生地のVästra Karupで亡くなったそうだ。享年87歳。ヴァーグナー歌手として一世を風靡した人で、私の中学、高校時代に歌曲のあれこれを教えてくれた恩人が大のヴァーグナー好きで、同時にニルソン好きでもあった。歌曲という短い形式に魅力を感じていた私はヴァーグナーの楽劇は巨大すぎて敬して遠ざけていたので彼女のイゾルデやブリュンヒルデとは縁がなかったのだが、幸いなことにニルソンはオペラだけでなく、シベリウス、グリーグなどの北欧の作曲家たちやR.シュトラウス、シューベルトなどの歌曲も歌っていた。

今私の手元に1枚のリサイタル盤がある。ニルソンが故郷スウェーデンのストックホルム・コンサート・ホールで歌ったライヴ録音で、1970年1月3日にR.シュトラウスの「4つの最後の歌」(Leif Segerstam指揮、スウェーデン放送響)、1974年9月8日に今は亡き名手ジェフリー・パーソンズ(Geoffrey Parsons:1929-1995)と共演して、シベリウス、R.シュトラウス、グリーグなどを歌ったものである(Bluebell:ABCD 009)。強靭でエネルギッシュ、かつしなやかで陰影にも事欠かない彼女の美声がどこまでも堪能できる好選曲である。シベリウスの深いところからこみ上げるような情熱はこの歌手にうってつけで、R.シュトラウスの開放的で息の長いフレーズをもった歌曲たちはニルソンの美質が最大に生きる作品であろう。アンコールの最後でストックホルムの観客の前で「ヴィーン、我が夢の町」を歌っているのが面白い(曲名アナウンス後の拍手からすると彼女の十八番なのだろうか?)。今夜はこのCDを聴いて、偉大なるヴァーグナー歌手のご冥福を祈りたい。

R,シュトラウス/「4つの最後の歌」(全4曲)

シベリウス/夕べにOp.17-6;はじめての口づけOp.37-1;夢だったのかOp.37-4;春は素早く飛び行くOp.13-4

R.シュトラウス/明日Op.27-4;夜Op.10-3;子守歌Op.41-1;献呈Op.10-1

Gunnar de Frumerie/波のようにOp.27-6;あなたが私の目を閉じる時Op.27-1

ラングストレム/新月のもとの少女;アマゾン

グリーグ/恋人がいればいいのだがOp.60-5;私が待つ間Op.60-3;白鳥Op.25-2;夢Op.48-6

Erkki Melartin/二十年

ジーツィンスキー/ヴィーン、我が夢の町

←amazonは現在入手できないようですが、HMVのサイトには掲載されていたので入手できるかもしれません。

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日本生まれのリートの女神

今や音楽的な国境のない時代、日本人が堂々とネイティヴに混ざって存在をアピールしている。ソプラノの松本美和子はトスティの膨大な録音とコンサートなどで長年のイタリア物への精進の成果を披露しているし、テノールの辻裕久はブリテンをはじめとするイギリス歌曲をイギリス人のような端正さと日本人的なデリケートな表現で充実した歌を聴かせている。

ドイツ歌曲は他言語の演奏以上にライバルは多いだろうが、一人の長野県出身のメゾソプラノはすでにドイツ人以上のドイツ歌曲歌いとしての地位を確立してしまったのではないか。この歌手、白井光子は、ヴォルフやシューマンの名を冠したコンクールに優勝し、シュヴァルツコプフの許で研鑚を積んだことなどはすでに良く知られている。後にF=ディースカウの共演者ともなるピアニスト、ハルトムート・ヘル(Hartmut Höll)と公私ともにパートナーの関係を築き、リート・デュオとして世界中で活躍を続けている。

彼女の録音はモーツァルトからシューベルト、シューマン、R.フランツ、リスト、ヴォルフ、R.シュトラウス、シェーンベルクやオムニバスアルバムなど多岐にわたるが、今日ご紹介したいのは1987年5~6月録音のブラームス歌曲集である。

野の孤独/サッフォー頌歌/娘の歌/春の歌/荒野を越えて/私たちはさまよい歩いた/死、それは涼しい夜/ナイティンゲール/私のまどろみはますます浅くなる/セレナード/私の歌/エオリアン・ハープに/もうあなたの許へ行くまいと/五月の夜/あなたがほんの時折微笑む時/黄昏が上空より降り来たり/アグネス/私の傷ついた心/あなたの青い目/ひばりの歌/子守歌

「野の孤独」「サッフォー頌歌」「私たちはさまよい歩いた」「私のまどろみはますます浅くなる」(彼のピアノ協奏曲にこの曲のテーマが聴かれる)「セレナード」「五月の夜」「あなたの青い目」「子守歌」といった有名曲の間に知られざる傑作を散りばめた、ブラームス歌曲のエッセンスといってもいい選曲である。「ドイツ民謡集」(ブラームス編曲)からは1曲も含まれていないことに気付かされる。

リートアルバムは演奏者の並べた通りの順序で聴くと、一晩のコンサートのように感じられるのでおすすめだが、もちろんお気に入りの曲をピックアップして短い空き時間に数曲だけ聴くというのも歌曲ならではの聴き方だと思う。

1曲目の「野の孤独(Feldeinsamkeit)」は白井の豊かにアーチを描くレガートの美しさや、一語一語、特に一つの句の締めの言葉に込められた表情の深さにはただただ見事の一言に尽きる。ヘルマン・アルメルス(Hermann Allmers)の詩による1879年の作品で、ゆっくりしたテンポ(Langsam)で弱声主体の声のコントロールが要求され、さらにフレーズの長さゆえに難曲に数えられる。2節からなり、ブラームスは基本的な形(特にリズム)は有節形式に見せかけていながら、音程や繰り返しの箇所を微妙に変えることで、第2節により重心を置き、徐々に緊張感を高めていく作曲テクニックはさすがというべきだろう。白井は各節最後のターン(上下に揺れる装飾音の一種)をゆったりと思いを込めて余韻のある揺れ方(特に第1節の「umwoben」)で歌われ、息をひそめて聴きいってしまう素晴らしさである。弱声の表情の豊かさは他のどの大歌手たちにもひけをとらないだろう。

ほかには「ひばりの歌」の抑えた声の美しさが印象に強く残っている(曲も素晴らしい)。「春の歌」(エディト・マティスも歌っていた)「私の歌」「エオリアン・ハープに」「黄昏が上空より降り来たり」などは知られざる傑作であろう。

ハルトムート・ヘルはF=ディースカウや白井氏のコンサートで何度も聴いたが、昔は曲に対して誠実に向き合っていたのに、F=ディースカウが引退した後の彼の演奏は不必要なまでの過剰な表現(特にハイドンの「驚愕」交響曲を思わせるスフォルツァンドの多用や、極端なテンポ設定)がやたらと目立ち、私の理解を超えたところにいってしまった(あくまで私個人の感想です)。このブラームス歌曲集ではまだそうした事もなく、真正面から真摯に取り組んでおり、「ひばりの歌」の神秘的な美しいタッチはヘルの豊かな音楽性がいい形で発揮された一例だろう。

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ヴォルフ『音楽批評』1884.1.20

フーゴー・ヴォルフ(1860-1903)が若かりし頃、批評活動をしていたことは知られているが、実際にどのような内容が書かれていたのかを記した日本語の文献はあまりなかったように思う。1911年にLeipzigのBreitkopf & Härtelから出版されたヴォルフの『音楽批評』(Hugo Wolfs MUSIKALISCHES KRITIKEN)は1884年1月20日から1887年4月17日までのヴォルフの批評が掲載されており、人名、曲名などの索引も付されているので、この文献からいくつか抜き出して、この作曲家の批評がどのようなものだったのかを訳出してみようと思う。熱烈なワグネリアンであったがゆえに執拗なまでにブラームスをこき下ろしたと伝えられる彼の批評がどのようなものだったのか、明らかにしていきたい。月1度ぐらいのペースで掲載できればいいが、あまり定期的な投稿を自分に課しても長続きしないと思うので、気が向いた時にでも少しずつご紹介していきたいと思う。なお、下線付きの箇所は私の補記である。

以下はヴォルフの最初の批評の全文である。ベルリオーズを賞賛する一方でズガンバーティを切り捨て、シューベルトの交響曲には彼の美質が発揮されていないと批判する。狼フーゴーは最初から一切の妥協をしていなかったと言えるだろう。

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1884年1月20日

 最近のフィルハーモニーの演奏会はベルリオーズ(Berlioz:1803-1869)の才知にきらめく序曲「ローマの謝肉祭」で始まり、聴衆はこの謝肉祭に熱狂的な歓迎を示し、いつも通り力強く表現された。R.フックス(Robert Fuchs:1847-1927)の愛らしいが独創性の乏しい弦楽合奏のためのハ長調セレナードはベルリオーズほど気に入らなかった。ズガンバーティ(Sgambati:1841-1914)の新作交響曲は最も気に入らず、楽器のおびただしい刺激的表現(Pikanterie)はフィルハーモニーのマチネを訪れた人に全く受け入れられなかった。

 ズガンバーティはローマ在住でリスト(Liszt:1811-1886)の弟子だが、永遠の都(ローマ)におけるドイツ音楽の普及に多大なる貢献をし、彼の交響曲においてはあちこちにこの作曲家のイタリア気質が明瞭に滲み出ているものの、たいていは師の奇妙に曲がりくねった小径を歩んでいる。ズガンバーティの新規性、精神、高貴な志向、至るところで気付くような新しく固有な組み合わせへの意図という点で、独自の旋律上の考案は無いに等しい。その点ではこの異様な交響曲を聴いて興味深かった。

 現代のイタリア人がどのように交響曲を書くか、ドイツ古典派から継承した偉大な芸術様式をいかに彼らの視点で見ているのか、いま私たちは分かったのだ。ズガンバーティの交響曲と全く対照的だったのが、第3回協会演奏会で聴いた我らがフランツ・シューベルト(Franz Schubert:1797-1828)の遺作の交響曲(ハ長調、第6番)である。シューベルトとズガンバーティの交響曲は2つの容器にたとえられるだろう。1つは敬虔な心根の牛乳、もう1つは発酵した竜の毒で満たされている。

 我々が愛し、敬っている真のフランツ・シューベルトは、先日聴いた交響曲にはなかなか見出せなかったが、反対にここでかの偉大な作曲家は後に嫌悪感を抱くことになったライバルであるヴェーバー(Weber:1786-1826)の軟弱な模倣者として、さらにロッシーニ(Rossini:1792-1868)のコピーとして立ち現れる。本当のシューベルト気質はリストによって管弦楽化された有名な騎兵行進曲の追憶が聴かれる生き生きと突進するスケルツォのみに脈打っている。だが、シューベルトの交響曲は初めから最後まで無慈悲なまでの快活さが持続するので、我々がそれを聴いている時、真剣にハイネの「タンホイザー」のような苦しみに憧れてしまうほどである。

 ほかの作品は、早逝した「じゃじゃ馬馴らし」の作曲家ヘルマン・ゲッツ(Herman Götz:1840-1876)による、非常に高貴でとても温かく感じられる、独唱者、合唱と管弦楽のための賛歌と、シューマン(Schumann)の「新年の歌」(Neujahrslied, Op. 144)だった。いくつかの効果にあふれた、たしかに輝かしい特徴はあるものの、シューマンの晩年のすべての作品同様に、この作品でも凍りつくような、面白みに欠ける印象を喚起させられる。

 それだけにゲッツの137番賛歌は一層好ましく、心を動かされた。合唱団は真の感動をもって歌い、独唱者のニクラス=ケンプナー(Niklas-Kempner)夫人も献身的な歌唱で傑出していた。

 愛らしいゲッツのコンサートホールで定着する作品として、今までヴィーンでは最近聴いた賛歌ほど決定的なものは現れていなかった。

 最近のほかの演奏会ではピアニストのモーリツ・ローゼンタール(Moritz Rosenthal:1862.12.18-1946.9.3)とアルトゥル・フリートハイム(Arthur Friedheim:1859.10.26-1932.10.19)の成果について触れておきたい。彼らは聴衆の面前で驚異的な超絶技巧により栄冠を勝ち取ったのである。

 精神性と音楽的情感が勝っているのがフリートハイム氏であるが、幾分癖のあるローゼンタール氏は技巧が優先している。リストの身の毛もよだつほど難しい「ドン・ファン」幻想曲(»Don Juan«-Phantasie)においてローゼンタール氏はピアニスティックで体力勝負の作品を弾きこなしたが、並のピアノ奏者ならばおそらく髪の毛が逆立ってしまうことだろう。聴衆は、前述した音楽上のヘルクレス的偉業のために全く手のつけられない興奮状態になり、ベーゼンドルファー・ホール(Saale Bösendorfer)できわめて稀にしか聞かれないほどの自然発生的なほとんど壁を揺さぶるような拍手喝采であった。

        x. y. (ヴォルフはこの最初の批評のみx. y. という匿名で寄稿している

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明けましておめでとうございます

皆様、明けましておめでとうございます。

寒い日が続きますが、お元気に新年を迎えられたでしょうか。

今年も歌曲を中心に私の調査、感想メモを公開していきたいと思います。

ブログで出来ること、出来ないことをより理解して、読んでくださる歌曲ファンの方にもそこそこ役に立つような情報を提供できればいいなと思っております。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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