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ヴォルフ『音楽批評』1884.1.20

フーゴー・ヴォルフ(1860-1903)が若かりし頃、批評活動をしていたことは知られているが、実際にどのような内容が書かれていたのかを記した日本語の文献はあまりなかったように思う。1911年にLeipzigのBreitkopf & Härtelから出版されたヴォルフの『音楽批評』(Hugo Wolfs MUSIKALISCHES KRITIKEN)は1884年1月20日から1887年4月17日までのヴォルフの批評が掲載されており、人名、曲名などの索引も付されているので、この文献からいくつか抜き出して、この作曲家の批評がどのようなものだったのかを訳出してみようと思う。熱烈なワグネリアンであったがゆえに執拗なまでにブラームスをこき下ろしたと伝えられる彼の批評がどのようなものだったのか、明らかにしていきたい。月1度ぐらいのペースで掲載できればいいが、あまり定期的な投稿を自分に課しても長続きしないと思うので、気が向いた時にでも少しずつご紹介していきたいと思う。なお、下線付きの箇所は私の補記である。

以下はヴォルフの最初の批評の全文である。ベルリオーズを賞賛する一方でズガンバーティを切り捨て、シューベルトの交響曲には彼の美質が発揮されていないと批判する。狼フーゴーは最初から一切の妥協をしていなかったと言えるだろう。

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1884年1月20日

 最近のフィルハーモニーの演奏会はベルリオーズ(Berlioz:1803-1869)の才知にきらめく序曲「ローマの謝肉祭」で始まり、聴衆はこの謝肉祭に熱狂的な歓迎を示し、いつも通り力強く表現された。R.フックス(Robert Fuchs:1847-1927)の愛らしいが独創性の乏しい弦楽合奏のためのハ長調セレナードはベルリオーズほど気に入らなかった。ズガンバーティ(Sgambati:1841-1914)の新作交響曲は最も気に入らず、楽器のおびただしい刺激的表現(Pikanterie)はフィルハーモニーのマチネを訪れた人に全く受け入れられなかった。

 ズガンバーティはローマ在住でリスト(Liszt:1811-1886)の弟子だが、永遠の都(ローマ)におけるドイツ音楽の普及に多大なる貢献をし、彼の交響曲においてはあちこちにこの作曲家のイタリア気質が明瞭に滲み出ているものの、たいていは師の奇妙に曲がりくねった小径を歩んでいる。ズガンバーティの新規性、精神、高貴な志向、至るところで気付くような新しく固有な組み合わせへの意図という点で、独自の旋律上の考案は無いに等しい。その点ではこの異様な交響曲を聴いて興味深かった。

 現代のイタリア人がどのように交響曲を書くか、ドイツ古典派から継承した偉大な芸術様式をいかに彼らの視点で見ているのか、いま私たちは分かったのだ。ズガンバーティの交響曲と全く対照的だったのが、第3回協会演奏会で聴いた我らがフランツ・シューベルト(Franz Schubert:1797-1828)の遺作の交響曲(ハ長調、第6番)である。シューベルトとズガンバーティの交響曲は2つの容器にたとえられるだろう。1つは敬虔な心根の牛乳、もう1つは発酵した竜の毒で満たされている。

 我々が愛し、敬っている真のフランツ・シューベルトは、先日聴いた交響曲にはなかなか見出せなかったが、反対にここでかの偉大な作曲家は後に嫌悪感を抱くことになったライバルであるヴェーバー(Weber:1786-1826)の軟弱な模倣者として、さらにロッシーニ(Rossini:1792-1868)のコピーとして立ち現れる。本当のシューベルト気質はリストによって管弦楽化された有名な騎兵行進曲の追憶が聴かれる生き生きと突進するスケルツォのみに脈打っている。だが、シューベルトの交響曲は初めから最後まで無慈悲なまでの快活さが持続するので、我々がそれを聴いている時、真剣にハイネの「タンホイザー」のような苦しみに憧れてしまうほどである。

 ほかの作品は、早逝した「じゃじゃ馬馴らし」の作曲家ヘルマン・ゲッツ(Herman Götz:1840-1876)による、非常に高貴でとても温かく感じられる、独唱者、合唱と管弦楽のための賛歌と、シューマン(Schumann)の「新年の歌」(Neujahrslied, Op. 144)だった。いくつかの効果にあふれた、たしかに輝かしい特徴はあるものの、シューマンの晩年のすべての作品同様に、この作品でも凍りつくような、面白みに欠ける印象を喚起させられる。

 それだけにゲッツの137番賛歌は一層好ましく、心を動かされた。合唱団は真の感動をもって歌い、独唱者のニクラス=ケンプナー(Niklas-Kempner)夫人も献身的な歌唱で傑出していた。

 愛らしいゲッツのコンサートホールで定着する作品として、今までヴィーンでは最近聴いた賛歌ほど決定的なものは現れていなかった。

 最近のほかの演奏会ではピアニストのモーリツ・ローゼンタール(Moritz Rosenthal:1862.12.18-1946.9.3)とアルトゥル・フリートハイム(Arthur Friedheim:1859.10.26-1932.10.19)の成果について触れておきたい。彼らは聴衆の面前で驚異的な超絶技巧により栄冠を勝ち取ったのである。

 精神性と音楽的情感が勝っているのがフリートハイム氏であるが、幾分癖のあるローゼンタール氏は技巧が優先している。リストの身の毛もよだつほど難しい「ドン・ファン」幻想曲(»Don Juan«-Phantasie)においてローゼンタール氏はピアニスティックで体力勝負の作品を弾きこなしたが、並のピアノ奏者ならばおそらく髪の毛が逆立ってしまうことだろう。聴衆は、前述した音楽上のヘルクレス的偉業のために全く手のつけられない興奮状態になり、ベーゼンドルファー・ホール(Saale Bösendorfer)できわめて稀にしか聞かれないほどの自然発生的なほとんど壁を揺さぶるような拍手喝采であった。

        x. y. (ヴォルフはこの最初の批評のみx. y. という匿名で寄稿している

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