シュライアー/フェアウェル・リサイタル1(2005年11月12日 東京オペラシティ・コンサートホール)
1935年7月生まれの70歳を迎えたテノール、ペーター・シュライアー(Peter Schreier)のフェアウェル・リサイタルに今日(日付的には昨日)行ってきました。フィッシャー=ディースカウ、故プライと共にドイツリートの伝達者として大きな仕事を残してきた彼ですが、最後の舞台というのが何だか信じられないような気がします。フィッシャー=ディースカウやプライが50歳を超えた頃から声の衰えをはっきりと露呈していたのに比べると、シュライアーの声のいまだに保たれている艶と崩れのないフレージングはほとんど奇跡的と言ってもいいぐらいに思えます。
今日は初台のオペラシティでのコンサート1日目でしたが、プログラムが実に興味深かったのです。というのはシュライアーに限らずドイツリートの著名な歌い手が来日すると、大抵は「冬の旅」「美しい水車屋の娘」「詩人の恋」といった大きな歌曲集を歌うのが常で、個々の歌曲のセレクションにはなかなか実演で接する機会がないものです。今回は、前半にベートーヴェン、後半にブラームスという、まさに意表を突く選択で、それゆえにとても期待していました。確かにベートーヴェンに関してはシュライアーはオルベルツとの全集を始めとして何度も録音を残しており、十八番であることは間違いないのですが、これまでコンサートで聴くことはなく、さらにブラームスの歌曲となると録音でもペーター・レーゼルとの「マゲローネのロマンス」以外には歌曲集が1枚、それにDGの「ドイツ民謡集」ぐらいしかなく、「マゲローネ」以外をコンサートで聴く機会はこれまでありませんでした。シュライアーの歌うブラームスというのがなんとなく結びつかず、最後のリサイタルであえて彼にとって必ずしも馴染みとはいえないブラームスを選んだことを興味深く感じながら会場に向かいました。
今回のピアニストはアレクサンダー・シュマルツ(Alexander Schmalcz)という人で随分若い印象です。最近はゲルネなどとも共演しているようですが、私は今回始めて彼の演奏を聴きました。フィッシャー=ディースカウにとってのハルトムート・ヘル、あるいはプライにとってのミヒャエル・エンドレスの例を出すまでもなく、高齢の歌手は若いピアニストと組むことによって歌いこんできた作品に新鮮な息吹を吹き込もうとしているかのようです。ベートーヴェンの最初の数曲では緊張していたのか随分固い音で、タッチもあまり魅力を感じなかったのですが、徐々に調子が出てきたのでしょう、作品を大きな起伏を持って再現し、後半のブラームスではブラームス独特の音楽語法をとても魅力的に弾いていました。
プログラムは以下のとおりです。
ベートーヴェン/アデライーデOp.46;五月の歌Op.52-4;新しい愛、新しい生Op.75-2;うずらの鳴き声WoO.129;あきらめWoO.149;思い出WoO.136;きみを愛すWoO.123;歌曲集「はるかな恋人に」Op.98
ブラームス/「49のドイツ民謡集」より~こたえておくれ、美しい羊飼いの娘さん(第1曲)/いいだろうか、美しい娘さん(第2曲)/太陽はもう輝かない(第5曲)/可愛い恋人よ(第12曲)/お姉さん(第15曲)/どうやって戸をくぐるか(第34曲);春の歌Op.85-5;愛の歌Op.71-5;ぼくらはさまよい歩いたOp.96-2;ばんざい!Op.6-4;五月の夜Op.43-2;秋の感情Op.48-7;あこがれOp.49-3
ベートーヴェンの歌曲は最近随分馴染み深いものとなってきましたが、シュライアーを含め前述の3巨匠ともベートーヴェン歌曲全集を録音していることから、歌い手にとって何か惹きつけられるものがあるのではないかと推測されます。旋律が器楽的な発想で作られているのが歌手にとっては新鮮なのでしょうか。シュライアーの声はいまだにみずみずしく、声量こそ往年の輝きはないものの、フレーズの形の崩れのなさ、音程の正確さ、そして各曲への感情の込め方もちょうど良く、さすがに歌いこんできたレパートリーなだけはあります。個々の歌曲と「はるかな恋人に」の間で拍手に答えていましたが、舞台に引っ込むことはなく、すぐに「はるかな恋人に」を歌い始めました。舞台の出入りに余計な労力をかけたくなかったのでしょうか、歌が終わって歩いて袖に引っ込む時には少しだけ年齢を感じさせられました。でも歌の清潔感はいささかも失われておらず、相変わらずスタイリッシュでスマートな解釈で作品のあるがままの魅力を届けてくれる伝道者でした。
休憩後のブラームスは最初にドイツ民謡にブラームスが手を加えたいわば民謡編曲集から数曲、いずれも馴染み深い作品が歌われました。これらはいわば襟を正した緊張感漂うプログラム中のひと息つけるコーナーとでもいえる所で、例えばアーメリングならばこういう曲集を最後に持ってきて温かい気持ちでコンサートを締めるのでしょうが、シュライアーは休憩後の前半にこれらを持ってきて、あくまでも正統的なブラームス・オリジナルの歌曲で締めくくるところが真面目な彼らしいところです。前半の「民謡集」で面白かったのが、以前はあまり感じなかったことですが、テキストの内容に応じて結構身振り手振りを加えていることです。特に「民謡集」最後の「どうやって戸をくぐるか」という親の目を盗んで彼氏を家に入れようとする娘との対話で、「どうやって階段をのぼればいいの」という彼氏に対して「靴を手にもって、壁づたいに」と答える箇所で手で階段を上るこまかい仕草をしたりして、きっとドイツではこういう所で笑いが起こるんだろうなと思いながら、シュライアーの仕草を楽しみました。民謡ですから単純な有節歌曲がほとんどなのですがピアノに工夫がこらされていて、ブラームスの香りがぷんぷん発散されていて、とても魅力的な作品揃いです。変化に富んだピアノパートに対して歌は同じメロディーの繰り返しなのですが、シュライアーの語りの巧みさは相変わらずで、全く単調になりません。これだけ発音がはっきりしているとドイツ語が分かったような気にさせられるほどです。後半の歌曲では例えば「五月の夜」のような有名な作品もシュライアーにかかると清冽な風が吹き抜けるようで、重厚という印象が払拭してしまいます。リサイタル最後の「あこがれ」という曲は私には馴染みのなかった曲なのですが、こういう知られざる曲を最後に持ってくるところは、通りいっぺんの名曲集で満足しない演奏家としての厳しい目をもっている証ではないかという気がします。
アンコールは「セレナード」「野ばら」「ます」「ミューズの息子」といったシューベルトの超有名曲のオンパレードで、お客さんも大喜びで、前奏が弾かれると同時にどよめきが起こっていました。
まだまだ歌えそうなシュライアーですが70歳を期に自ら身をひく潔さを尊重したいと思います。来週は「冬の旅」。きっと万感の思いで心からの歌を届けてくれることと思います。
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